こんにちは、\イッカク です。/
今回は、
個性とやる気について話します。
現代の日本社会は、
はっきりいいますと
奴隷を
作っているような状況です。
なぜかというと
多くの人を見ますと
やはり、
「指示待ち」人間が
何と多いことか!
これは、日本人ばかり
ではないと思います。が、
とにかく
人間が生まれて
家庭のしつけ
と
学校教育から始まり
やがて
会社や公務員の勤めを
意識した
教育を施す。
これは
上位からの指示を受けて
仕事をこなすという
従順な
人格形成を目指した
人間を育て
「指示を出す」側に
とって
都合のよいように
社蓄(しゃちく)を
育てているような
ものなのです。
<ここで、社蓄とは?
が解からない方への
説明です。>_______________
社蓄とは:
勤めている会社に
飼い慣らされてしまい
自分の意思と
良心を放棄し
奴隷(家畜)と
化した
サラリーマンの状態を
揶揄したものである。
<Wikipediaよりでした>__________
そう云えば、「忖度してる」
どこかの役人も
同じですかね。。。
私は、長年この
奴隷制度のような
社会構造を
横目で見るにつけ
多くの人は
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・自立的に考え
・能動的に行動し
・自分の思う世界観を
実現すべく
・他人への迷惑や
悪い事をするのを
除けば、
自由に生きてみる
・・・・・・・・・・・・・・・・・
というようなことが
やれていない!
いや、やれない
のではないか?
これがで
きていないのは
本来の自然な
人間の有り方では
ないような
気がして
ならないのです。
わたしの思いは
「反体制的」
とか
「反社会的」な思想
とか
そのような、
枠にはまった
土俵での者同士で、
オマエは右か?
とか、
左翼か?とか
いつも、
新聞・雑誌と
TVしか
情報源を
持たない
一般の人たちが
陥りやすい
二元論的な
稚拙な見方は
どれだけ
洗脳させられてきたか・・・
あしからず。
この二元論という
罠には
私は
嵌りたくはありません。
断じて。
とにかく、
現代の日本社会は
没個性化
社会としか
見えないのであり
まったく、
本来人間としての
尊厳を意識すべき
「個性」
というものが
殺ぎ取られて
しまっているのに
お気づきでしょうか?
この結果、
たとえば
学校社会では何が起きて
いましたでしょうか?
いじめ&いじめられっこ
の図式があります。
いじめの最初は、
単なるふざけか、
ちょっとした
仲間はずれ
だったのかも
しれませんが
そのうち、
エスカレートしてくる。
そうして、
あたりの生徒や先生が
止めに入るのではなく
『空気を』
読んでしまう!
そして、
第三者は、
笑いながら
自己の個性を殺して
見て、
見ぬふりを
決め込むのです。
学校の先生なんか
典型でしょうね。
これって、
没個性・洗脳教育の
賜物です。
戦後の
「日×組」の教育のお陰です。
この構図は、日本の
▼政治
▼経済
▼学校教育
▼医療現場
▼年金
▼貿易
▼家庭でさえも…家庭崩壊も
ありますから
結果⇒離婚、DV事件
はてまた、自殺!
ある意味、
強いものが
弱いもの虐めをして
「楽しんじゃってる」
これって、
悪趣味・悪魔社会
ですよね。
これって、
個性が無いから
やられているんです
よね!
個性があれば、
強いものが
弱いものの
「素晴らしい個性」に
触れたならば
暴力という
図式は、消えて
変わりに、
「感動」が
芽生えるのですよね。
個人的
感動の無い世界って
どんな
世界でしょうか?
いまの
日本の世の中がそうです!
感動の無い要素
・同じ時間に起床
・同じような食事
・同じ新聞&TVニュース
・同じ電車に乗り
・同じような姿のサラリーマンや学生
・同じ職場や学校へ行き
・同じような仕事や学業をし
・同じような時間に帰宅し
・同じ新聞&TVニュースを見ながら
・同じような夕食
・同じようなオフロに入って
・同じような時間に就寝
団体で感動を与えられた世界
もしかして、
オリンピックも
金太郎飴の
感動の産物?
そして、
同じように定年を迎え
同じような
子や孫に囲まれ
最後に、
同じように死ぬ・・・
死ぬ瞬間、
きっと思います
「もっと、思ったことを・・・
やっておけば良かった・・・」
(悔い)
味も素っ気も無い、
今の日本人。
そして、
吸い取られるのは
労働力
人生
命
そして
貯めた、
お金
現状マトリックス
没個性の世界は
、いきなり脱出できません
しかし、厳に
脱出している人も
確実にいます。
なので、自然体で
少しずつ、
禁酒・禁煙と同じに
今までの
悪習慣をチョットづつ
止めて行く
ようにしないと
抜けられない
と思います。
つまり、
前述のような、
家畜人生は
マタイの福音書での
つまずきとなる者と
不法を行う者
であり
以下のたとえのようです。・・・・・・・・・・・・・・
それから
イエスは、
群集を後に残して
家に入られた。
すると
弟子たちは、
みもとに来て言った、
「畑の毒麦のたとえを
説明してください」。
イエスは
答えて言われた、
畑は世界である。
良い種と言うのは
御国の子達で、
毒麦は
悪い者の子達である。
それを蒔いた
敵は悪魔である。
収穫とは
世の終わりのことで、
刈る者は
御使い達である。
世の終わりにも
その通りに
なるであろう。
人の子は
その使い達をつかわし、
つまずきとなる者と
不法を行う者とを、
ことごとく
御国から取り集めて、
炉の火に
投げ入れさせるであろう。
そこでは
泣き叫んだり、
歯がみをしたり
するであろう。
その時、
義人達は
彼らの父の御国で、
太陽のように
輝きわたるであろう。
耳のある者は
聞くが良い」。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
わたしから言わせれば
つまずきとなる者と
不法を行う者は
眠っている人生です。
個性の無い人生です。
受身の人生です。
自分で
考えないような
人生です。
覚醒しない人です。
だから、
今の時代は
厳しくなっており
さらに、さらに
厳しい時代に
入ってくるのです。
つまり
つまずきとなる者と
不法を行う者
は覚醒できずに
です。