【ステファン・ランカ博士】 “なぜ、麻疹ウイルスのようなウイルスの存在を疑わなければならないのでしょうか。何がウイルスで、何がウイルスでないのか?ウイルスの存在はどのようにして科学的に証明できるのでしょうか?

ステファン・ランカ博士


こんにちは、 \イッカクです。/

ステファン・ランカ博士の
pdfファイルから、
翻訳して頂いたものを
以下を貼り付けます。
ソース:https://www.ne.jp/asahi/triste2030/archives/Dismantling-the-Virus-Theory_ja.pdf
<引用開始>_______
ドイツの雑誌
「サイエンティフィック・プラス」
2015 年 6 月の記事です。
(翻訳ツールによる私訳)
https://wissenschafftplus.de/uploads/article/Dismantling-the-Virus-Theory.pdf
なぜウイルスの存在を
疑わなければならないのでしょうか?
ウイルスとは何であり、
何ではないのでしょうか?
ウイルスの存在は
どのようにして科学的に
証明されているのでしょうか?

著者 ステファン・ランカ博士
科学者はすべてのことに
疑問を投げかけなければならないし、
特に自分たちが最も
愛しているもの、
つまり自分たち
自身の発見やアイデアに
疑問を抱かなければなりません。
科学研究のこの基本的なルールは、
誤った展開を避け、
すでに存在するものを
明らかにするのに役立ちます。
また、私たちは皆、
現状に疑問を持つことを
許されなければなりません。
さらに、科学は選ばれた数の機関や
専門家に限定されるものではありません。
科学は、必要な知識と適切な方法を
持っている人であれば、
誰でも行うことができますし、
そうしなければなりません。
科学は、
その主張が検証可能で、
再現性があり、
予測を可能にする場合にのみ、
科学とみなすことができます。
科学はまた、
外部からのコントロールも
必要とします。
生物学、生命の発生、
組織、身体、脳の発達と
機能に関する知識を
持っている人なら誰でも、
ウイルスに関する
仮定に自ずと疑問を
抱くことになるでしょう。

身体とそのメカニズムの現実には、
仮説的な悪性プロセスが
存在する余地はありません。

苦しみ、痛み、死に至る
可能性のあるものを含め、
すべての生物学的プロセスは、
本来、有用なもので
あることを意図しています。

病原性ウイルスに関する
科学論文を読んで、
ある程度の予備知識を持った
素人であれば誰でも、
そのようなウイルスは存在せず、
記述されているのは
細胞の典型的な
構成要素と特徴に過ぎない
ことを理解することができます。

この論文では、
そのような予備知識を提供します。

考え方の原点

現在のウイルスの概念は、
すべての病気は毒(毒素)によって
引き起こされ、
人々は「解毒剤」として「抗毒素」
を生産することによって
健康を取り戻すという
古代の考えに基づいています。
確かに、いくつかの病気は毒によって
引き起こされています。
その後、「解毒剤」を生産したり、
与えられたりすることで、
体が健康を取り戻すという考えが
生まれたのは、
アルコールなどの
大量の毒物をゆっくりと摂取して
体を鍛えると、
生き延びることができるという
観察からです。

しかし、実際には
解毒剤は存在せず、
毒(アルコール)を中和・除去する
酵素を体内で生産しています。

1858 年、現代医学の創設者である
ルドルフ・ヒィルヒョウ
は他の科学者の発見を盗用し、
彼らの本質的な発見を抑制し、
それにより病気の原因についての
誤った見解が生まれ、
教義(ドグマ)となりました。
この教義によれば、
すべての病気はおそらく
細胞内で発生します。[1]

ヒィルヒョウ の細胞病理学は
古代の医学に再導入され、
体液性の教義に反論し、
病気は病原性毒
(ラテン語:ウイルス)から
発症すると主張しました。

しかし、細菌が発見されたときには、
その細菌が病原性の毒を作っている
と考えられていました。
この仮説は「細菌説」と呼ばれ、
すぐに受け入れられ、
現在に至るまで大成功を収めています。
この説があまりにも成功しているため、

いわゆる細菌の毒素と呼ばれるものが、
実は正常な酵素であり、
人間の体内には出現しないか、出現しても
危険なほどの量では出現しない
という事実を、
大多数の人は未だに知らないのです。

その後、細菌がゆっくりと死滅し始めると、
細菌は生存のための小さな、
一見命のない形の、いわゆる胞子を作る
ことが発見されました。
この胞子は有毒であり、
いわゆる病原性の毒ではないかと
疑われていましたが、
生命力が回復した時に胞子は
急速にバクテリアへと成長していくので、
このことは反論されました。
その後、研究所の科学者たちが、
弱くて繁殖力の強い細菌が、
胞子よりもはるかに小さな
構造になりながら、
急速に死滅していくのを観察したとき、
最初は、細菌がウイルスと呼ばれる
病原性の毒によって殺され、
それによってウイルスが複製されているので
はないかと考えられたのです。
発見当時はまだ目に見えない
これらの構造が
バクテリアを殺していると
考えられていたため、
ファージ/バクテリオファージと呼ばれ、
「バクテリアを食べる人」と呼ばれていました。
後になって初めて、
ほとんど繁殖してはいない、
したがって

ほとんど生存できないバクテリアが、
ファージに変化できることが
明らかになりました。

電子顕微鏡の導入は、
細菌が突然死したときや、
高度に雑種化した細菌の代謝が、
「ファージ」の添加によって生じた
プロセスによって圧倒されたときに、
細菌の変化に起因する構造の
発見につながりました。
また、見た目の異なる「ファージ」が
何百種類もあることも発見されました。
ファージ、いわゆる細菌性の
「ウイルス」の発見は、同じように見えて
同じ構造を持つヒトと動物のウイルスが
存在するという
誤った思い込みと信念を強化しました。
これは、いくつかの異なる理由から、
そうではありません。
生物学に化学的検査技術を導入した後、
ファージには何千種類もの
種類があり、ある種類のファージは
常に同じ構造をしていることが
発見されました。
ファージは、核酸からなる
特定の分子が、所定の数と
組成のタンパク質の殻に覆われています。
その後、試験管の中で高度に育種された
細菌だけがファージと
接触することでファージになることが
発見されましたが、
天然細菌や自然環境から
分離されたばかりの細菌には
適用されませんでした。
その過程で、これらの「細菌ウイルス」が、
実は重要な分子やタンパク質を
他の細菌に提供する役割を果たしていること、
そして細菌自身がそのような構造から
生まれていることが発見されたのです。
「細菌ウイルス」が天然の細菌を殺すことはできないが、
細菌の生存を助けていること、
細菌自体がそのような構造から
発生していることが確立される前に、

この「ファージ」はすでに、
ヒトや動物のウイルスのモデルとして
使用されていました。

「ファージ」に似たヒトや動物のウイルスは、
細胞を殺して病気を引き起こすと同時に、
新たな病気の毒を作り出して
病気を媒介していると考えられていました。
今日に至るまで、
多くの明らかに新しい病気は、
その起源が不明であるか、
または認められていない場合は、
ウイルスに起因していると
考えられています。
この反射的対応は、
「細菌ウイルス」の発見で明らかに確認されました。
ここで重要なことは

戦いや感染の理論は、
自分たちが住んでいる国や地域が
戦争や逆境に見舞われていた場合にのみ、
大多数の専門家に受け入れられ、
高く評価されたということです。
平和な時代には、
他の概念が科学の世界を支配していました。

[2]
ドイツから始まった感染症理論が
第三帝国を経て
世界化したのは、
政治的に搾取されていた、
感染症理論に反対し反論していた
ユダヤ人研究者のほとんどが
その地位を追われたときに
限られていることは、非常に重要です。
[3]

ファージの検出

ファージの存在は迅速に証明することができます。
最初のステップ:
ファージの存在は、細菌のファージへの変換、
およびそれらのファージの電子顕微鏡写真を通して
確認されます。
コントロール(対照)実験では、
細菌が変化しない場合や、
細菌が外因的な突然の消滅により
ランダムに分解を開始した場合には、
ファージは形成されずに出現しないことが示されています。
第2のステップ:
ファージを含む液体を濃縮し、
試験管の底部では高濃度、
試験管の上部では低濃度の別の液体に塗布します。
その後、ファージを入れた試験管を
強力に回転(遠心分離)させ、
すべての粒子がその質量と
重量に応じて、それぞれの密度の場所に集まります。
ここでいう密度とは、
単位体積あたりの重量(質量)の比であり、
それぞれ Kg/ℓまたは g/mg で表されます。
このように、同じ密度の粒子を濃縮して
精製するステップを
「密度勾配遠心分離」と呼ぶのはそのためです。
同じ密度の粒子が多数集まる層が
「濁り」となり、これを「バンド」と呼びます。
このステップをドキュメント化(?)
し、「バンド」に濃縮・精製・沈降した粒子を
「シリンジ針」で除去します。
抽出された濃縮された量の粒子は、
「単離物」と呼ばれます。
速くて簡単な電子顕微鏡写真は、
ファージ以外の粒子が
見られない場合、
分離物中のファージの存在を
確認すると同時に、
分離物の純度を示す指標となります。
ファージの外観と直径もこの顕微鏡写真
で確認することができます。
このステップのために実行される
コントロール実験は、
ファージを形成しなかった細菌から
の液体を処理し、
遠心分離することで構成されており、
手順の最後にファージが示されません。
ファージの「単離」に成功した後、
ファージの決定的な
生化学的特徴付けは次のようになります。
異なるタイプのファージが
類似しているように見えることが多いため、
その組成の生化学的特徴付けは、
特定のタイプのファージを特定するために
不可欠です。
密度勾配遠心分離によって得られた単離物を、
今度は2つの部分に分ける。
1 つは
核酸の大きさ、種類、組成を決定するために使用され、
もう 1 つは
別の手順でファージのタンパク質の量、
大きさ、形態を決定するために使用されます。
1970 年代以来、
これらのテストは、
すべての生物学の学生によって
最初の学期に学習される
単純な標準的な技術となっています。
これらの試験は
ファージの生化学的特徴付けを
表しています。
ファージは非常に単純な
構造をしており、
解析が非常に容易であるため、
ほとんどの場合、
これらの結果は
1 つの論文でしか発表されていません。
これらの試験では、
ファージを形成しない
細菌の液体を使用しているため、
生化学的な証拠を
提示することはできません。
このようにして、
約 2000 種類のファージの存在が
科学的に証明されました。

病原性ウイルスの疑惑の証拠

「バクテリオファージ」は、
不完全なミニ胞子や
細菌の構成要素として
正しく定義されており、
科学的には単離されていますが、
病原性があるとされる

ウイルスは、
人間や動物、あるいはその体液中で
観察されたことがなく、
単離されて生化学的に
分析されたこともありません。

今日に至るまで、
この種の研究に携わった研究者は
誰一人として
このことに気づいていないようです。
密度勾配遠心法は、
ウイルスの存在を証明するために
科学的に必要とされる
標準的な手法です。
この方法は、
すべての微生物学の
マニュアルで「ウイルス分離技術」として
説明されているにもかかわらず、
病原性のあるウイルスの存在を
示すことを目的とした
実験には適用されていません。【次ページ図】

1945 年以降、
電子顕微鏡の使用と生化学は非常に
ゆっくりと正常な状態に
戻っていましたが、
人間や動物に病原性のある
ウイルスが一つも
分離されていないことには
誰も気がついていませんでした。
そのため、1949 年から
研究者たちは、
ファージ(バクテリオ)に
使われていたのと同じ考え方を
応用して、
ヒトや動物の「ウイルス」を複製
することに着手したのです。
ジョン・フランクリン・エンダースは、
1897 年に裕福な財政家の家系に生まれ、
学業を終えた後、様々な社交界で
活躍した後、不動産業者として働き、
外国語を 4 年間勉強した後、
彼を魅了した細菌ウイルス学に
転向しました。
その後、彼はこの分野の研究で
学んだアイデアや概念を、
ヒトの病原性ウイルスと
思われるものに単純に移植しました。
エンダースは、
ネガティブコントロールで
確認したことのない
非科学的な実験と解釈で、
「ウイルス」感染症医学全体を
行き詰まりに追い込んだのです。
この時点で重要なことは、
エンダースは、
多くの感染症の専門家と同様に、
アメリカ軍のために働いていたということですが、
アメリカ軍は常に伝染病の恐怖の大きな犠牲者であり、
現在もその犠牲者であり続けています。
主に米軍が、化学兵器以外にも
細菌やウイルスの形をした生物兵器があるという
誤った考えを広めたのです。

1949 年、
エンダースは、疑われているポリオウイルスを
試験管内で培養し、
様々な組織で増殖させることに成功したと発表しました。
アメリカの専門家は
すぐにすべてを信じました。
エンダースが行ったことは、
ポリオ髄膜炎の患者の体液を、
滅菌したと主張する組織培養物に加え、
ウイルスのせいで細胞が死んでいる、
このようにして
ウイルスが複製されている、
そしてそれぞれの培養物から
ワクチンが収穫できると主張したのです。
当時、ポリオの流行(ポリオ=弛緩性麻痺)は
夏場に非常に多く、
ポリオウイルスが原因と考えられていました。
この疑惑のウイルスを
根絶するために、
ワクチンが使われることになったのです。

ポリオワクチンが導入された後は、
多発性硬化症、
弛緩性急性麻痺、
無菌性髄膜炎などと再診断され、
後にポリオは撲滅されたと
主張されるようになりました。
実験中、
エンダースらはバクテリアが
細胞を殺す可能性を排除するために、
組織培養物を滅菌しました。
彼が考慮しなかったのは、
感染の疑いのある
細胞培養物を準備する際の滅菌と
処理こそが、
まさに細胞を殺していたとい
うことです。
その代わりに、
彼は、単一のウイルスを単離したり、
その生化学について
説明したりすることなく、
細胞病原性の効果を
ポリオウイルスの存在と
その作用と解釈したのです。
試験管内での
「感染」の前の滅菌と
細胞の処理が細胞を殺している
ことを示すはずの、
必要なネガティブコントロール実験は、
一度も行われていません。
しかし、エンダースは
この「パフォーマンス」のために、
1954 年にノーベル賞を受賞しました。
1954 年は、エンダースが
はしかウイルスを複製するために
同じ技術を応用して発表した年でもあります。
エンダースは同じ年に
ポリオウイルスの疑惑で
ノーベル賞を受賞していたので,
すべての研究者は彼の技術が
科学的に有効であると信じていました。
したがって
今日まで、はしかの概念は
すべてこの技術に基づいています。
このように、
はしかワクチンには
ウイルスではなく、
死んだサルの腎臓組織や
ヒトの癌細胞の粒子が含まれているのです。
今日まで、いわゆる
はしかウイルスに関して
ネガティブコントロール実験は
行われておらず、
それは細胞の変性効果につながる
実験室手順であることが示されました。
さらに、
エンダースらによって行われた
すべての主張と実験、
そしてその後の研究者たちは、
実際には彼らが試験管内で
死にかけている細胞粒子と
その活動を観察および分析しており、
これらを
はしかウイルスの粒子と誤解している
という唯一の客観的な結論を導きました。

はしかウイルスを例として

以下の説明は、いわゆる
(ヒトまたは動物の)
「病原性ウイルス」のすべてに
当てはまります。
はしかウイルスの存在を証明するための
「はしか裁判」の過程で、
バーデンス博士によって
提供された6つの論文は、
はしかウイルスの存在を
信じるようになるまでの
誤解の連鎖の様々な段階を、
教訓的に理想的な方法で説明
しています。
最初の論文は、1954 年に
エンダースらによって
発表されました。
「はしか患者からの細胞病原体の
組織培養物中での伝播」
(Proc Soc Exp Biol Med. 1954 Jun; 86
(2): 277-286)。)
この論文は、
はしか裁判で発表された
他のすべての論文と同様に、
インターネット上で
見つけることができます。
その実験では、
エンダースらは、
感染したとされる液を導入する前に、
栄養液を劇的に減らし、
細胞を破壊する抗生物質を
細胞培養に加えました。
その後の細胞の死は、
はしかウイルスが存在したと
誤解され、
また、はしかウイルスが
分離されたと誤解されました。
抗生物質と同様に
栄養分を奪ったことが
細胞病理学的効果に
つながった可能性を
排除するための
コントロール実験は行われませんでした。
エンダースらの盲目は、
戦後、冷戦中に
ウイルスヒステリーが
激化していた中で、
彼が本当に人々を助けたいと
思っていたという事実によって
説明できます。
また、エンダースと
彼の同僚の多くが医学の知識がなく、
最初のはしかワクチンの開発で
ソ連と競っていたことからも
説明できます。
このような成功への
プレッシャーは、

エンダースと彼の同僚たちが
1954 年に表明した、
未知のウイルスや要因によって
引き起こされたと考えられていた
多くの細胞が正常に処理された後
(すなわち「感染」されていない状態で)
も死滅していることを観察し、
指摘していたときに、
自分たち自身の保留と注意を
無視したことで説明できます。

これらの事実と注意事項は、
その後すべて無視されました。
はしか裁判で請求人が発表した
2 番目の論文は
1959 年に発表されたもので[4]、
上記の理由から、エンダースが
導入した技術は
ウイルスの単離には適切ではない
と結論づけています。
この反論は他のすべての
研究者によって議論されていない
だけでなく、無視されています。
3つ目の論文では[5]、
著者らは細胞内の典型的な
細胞粒子を撮影し、
これをはしかウイルスと誤認しました。
ウイルスは分離されていません。
原因不明の理由で、
別の実験で
ウイルスとして提示していたものの
生化学的構造を決定し
記述することに失敗したのです。
使用された方法の
短い説明では、
著者らはウイルスの標準的な分離技術、
すなわち密度勾配遠心法を
適用していないことが
読み取れます。

彼らは単に試験管の底にある
死んだ細胞の断片を
遠心分離しただけで、
その生化学的構造を記述することなく、
細胞の破片を
ウイルスと誤認したのです。

この実験のやり方からは、
細胞の破片をウイルスと
誤認したとしか
結論づけられません。
このような状況は、
はしかウイルスの存在を
証明するものとして
請求人が提出した
4 番目[6]、および
6 番目[7]の論文にも見られます。
5 番目の論文[8]は、
死んだ細胞のどの核酸分子が
はしかウイルスの
いわゆるゲノムを表すかに
関するコンセンサスプロセスを
説明したレビューです。
多数の研究者チームが
細胞特異的分子の短い断片を操作し、
その後、特定のモデルに従って、
すべての断片を紙にまとめました。
しかし、

非常に多くのピースからなる
このジグソーパズルは、
全体として
科学的に証明されておらず、
ウイルスからも
分離されていませんでした。
はしかウイルスは、
人間にも試験管にも
見られなかったためです。

裁判所が選んだ専門家は、
この論文が
ゴールドスタンダード、
すなわち
ウイルスゲノム全体を
記述していると述べています。
しかしこの専門家が
論文を読まなかったことは
明らかです。
論文の著者は、
はしかウイルスゲノムの正確な
分子構成と機能については、
今後の研究の対象
としなければならないと
述べており、
そのため、
はしかウイルスゲノムの構造と
機能についてのコンセンサスを
得るためには、
他のウイルスモデルに
頼らなければなりませんでした。
誰もが気づく
最も簡単なことは、
これらの論文や
「はしかウイルス」や
他の病原性ウイルスに関する
他の論文と同様に、

コントロール実験が一度も行われていないことです。

どの研究者も
密度勾配遠心法を使わず、
代わりに試験管の底にある
細胞の破片を遠心しただけでした。
液体から
すべての粒子を集めるために
使用されるこの技術は、
ペレット化と呼ばれています。
論理的・科学的な観点から言えば、
いわゆる
「病原性ウイルス」に関するすべての論文において、
研究者たちは実際には
粒子と細胞の特徴だけを示していたと言えます。
サイエンティフィック・プラスの次号では、
はしかウイルスが存在するという
主張に対する科学的な反論を発表します。
また、別の論文で、
いわゆるジャイアントウイルス[9]、
すなわち、海中や塩基性生物の
どこにでもいることができる
包み込まれた核酸を説明したことを
指摘したいと思います。
すべての細菌ファージのように、
彼らは無害であるだけでなく、
有益な機能を持っています。
彼らはまた、
彼らの存在を証明する
密度勾配遠心分離を使用して分離する
ことができます(図を参照してください)。
Lüdtke 教授による、
1999 年の関連するレビュー[10]も
お勧めします。
彼は、ウイルス学の初期の段階では、
大多数のウイルス学者は常に、
自分たちがウイルスと勘違いしていた
構造が細胞の構成要素であることが判明し、
したがって、それらは実験の結果に過ぎず、
観察された変化の原因ではないと
結論づけていたと指摘しています。
ファージが発見され、
その特徴が明らかになった後、
核酸がすべての細胞やウイルスの
ゲノムであるという教義が導入された後、
そのようなウイルスは
人間や動物にも存在するに違いないという
コンセンサスが生まれました。
1992 年には、

核酸がすべての細胞の遺伝子型であるというドグマは、
科学界では撤回されましたが、
2008 年には、
ドイツの一部でも撤回されました。[11]
しかし、
病原性ウイルスのドグマは
現在も推進されています。

オーストラリアのパースグループ
(エレニ・パパドピュロス-エレオピュロス、
ヴァル・ターナー、ジョン・パパディミトリウが
率いる)[12]は、
HIV が存在することが証明されていないことを
科学的な議論で証明しました。
1992 年に早くも
私に HIV についての現実を受け入れ、
事実を研究し、
病原性のあるウイルスは
存在しないという知識を共有する
ことを奨励し、科学的な支援を
提供してくれたのは、
エレニ・パパドプロス-エレオプロスでした。
私は彼女と彼女のチームにとても感謝しています。

文献:

[1] Siehe Ausführungen zu Virchows Leben und Wir- kung in WissenschafftPlus Nr.
5/2015 und Nr. 6/2015.
[2] Anticontagionism between 1821 and 1867.
Aufsatz von Erwin H. Ackerknecht in der Zeitschrift Bulletin of the History of
Medicine, Volume XXII, The Johns Hopkins Press, 1948.
[3] Das Robert Koch-Insitut im Nationalsozialismus. Buch von Annette Hinz-Wessels, 192
Seiten, 2008. Kulturverlag Kadmos Berlin.
[4] Bech V, Magnus Pv. Studies on measles virus in monkey kidney tissue cultures.
Acta Pathol Microbiol Scand. 1959; 42 (1): 75–85.
[5] Nakai M, Imagawa DT. Electron microscopy of measels virus replication. J. Virol.
1969 Feb; 3v (2): 187–97.
[6] Lund GA, Tyrell, DL, Bradley RD, Scraba DG.
The molecular length of measles virus RNA and the structural organization of
measles nucleocapsids.
J. Gen. Virol. 1984 Sep;65 (Pt 9): 1535–42.
[7] Daikoku E, Morita C, Kohno T, Sano K.
Analysis of Morphology and Infectivity of Measles Virus Particles.
Bulletin of the Osaka Medical College. 2007; 53 (2): 107–14.
[8] Horikami SM, Moyer SA.
Structure, Transcription, and Replication of Meas- les Virus. Curr Top Microbiol
Immunol. 1995; 191: 35–50.
[9] Siehe WissenschafftPlus Nr. 1/2014.
[10] Zur Geschichte der frühen Virusforschung. Übersichtsarbeit von Prof. Karlheinz
Lüdtke. Reprint 125 des MAX-PLANCK-INSTITUT FÜR WISSENSCHAFTSGESCHICHTE, 89 Seiten, 1999.
[11] Erbgut in Auflösung. Die ZEIT vom 16.6.2008. Siehe zu diesem Thema die Beiträge
in Wissen- schafftPlus seit 2003.
[12] http://www.theperthgroup.com

ステファン・ランカ
Stefan Lanka

ドイツの生物学者。ウイルス学者。
2011 年に「はしかのウイルスが存在することを証明した者に、10 万ユーロの賞金を与える」と宣言し、論文を示
して賞金を求めたドクターに対し「証明になっていない」と拒否したために、裁判となる。最終的に 2016 年ドイツ
最高裁で勝訴する。つまり、「はしかウイルスの存在を証明する科学文献が存在しないことを、ドイツの最高裁は
確認した」。
裁判についての解説(動画あり)
ステファン・ランカが完全証明、麻疹(はしか)ウイルスは存在しない
https://www.jimakudaio.com/post-7822

<引用終り>_______
以上、長い文章をお読み頂きありがとうございます。

では、また。

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