第5章:漂う、あの頃の“香り”
放課後の教室に、西日が差し込んでいた。
光と影が交錯する窓辺で、サトコは机に肘をつき、しばらく黙っていた。
「ねぇ、先生……最近、やたら“MMT”って言葉を聞くの」
宮城先生は、静かに頷いた。
「現代貨幣理論、Modern Monetary Theory の略だな。
政府は財政赤字を氣にせず、
自国通貨を発行できる限り、
いくらでも支出していいという考え方だ」
「でも、なんか……氣になるの。
『政府は通貨発行権を持ってる』って
断言する人が多いけど……本当にそうなの?」
サトコの目は真剣だった。
宮城先生は少しの沈黙のあと、口を開いた。
「いい視点だな、サトコ。
実は日本政府自体には通貨発行権はない。
通貨を発行しているのは
“日本銀行”であって、
政府とは法的には別の独立した存在だ。
そしてその“日銀”も、完全な国の機関ではない。
大株主に民間が含まれている、
れっきとした中央銀行。
言い換えれば、国家ではなく“私的な銀行”なんだ」
「えっ……! じゃあ、
政府が日銀に命令してお金を刷ってるっていうのは、幻想?」
「その通り。政府が直接お金を刷ることはできないし、
日銀に“刷らせる”こともできない。
政治家たちは、まるで
“政府=日銀”のように見せかけるけど、
それは一種のカモフラージュ。
まるで、“良さげに見えるものには、必ず裏がある
……”という話と同じさ」
サトコは深く息をつきながら、ふと、あるイメージがよぎった。
「……なんか、これって戦争前夜みたい。
戦時中、
日本は“軍票”っていう紙を大量に刷って、
アジア各地に配ったって、授業で習った。
あれも結局、国がコントロールしてるように見えて、
民間の金融勢力が背後にいたって話……
“借金で自由を縛る”やり方は、
ずっと昔からあったんじゃない?」
宮城先生は、ゆっくり頷いた。
「君の直感は、鋭い。
実はMMTのような理論は、一見すると
『庶民の味方』『財政再建より成長』と謳われる。
だが、背後には“永久に借金を積み上げさせる仕組み”
を作り、金融の主導権を握る者たちの
意図が含まれている場合もある。
過去の軍国主義もまた、そうやって戦争へと向かった。
“国債の乱発”が、
“戦時経済”の序章だった。
それが繰り返されていると氣づけるかどうかが、分かれ目だ」
サトコは、震えるような思いで呟いた。
「……『経済』って言葉の裏に、
『戦争』が隠れてるかもしれないんだね……」
「その通りだ。人々の“信じ込み”が武器になりうる。
真に氣をつけるべきは、
“誰が得をしているか”
という視点を忘れないことなんだよ」
西日の中、サトコは静かに立ち上がった。
まだ、自分に何ができるかはわからない。
でも、見抜く力は、確かに育っている。
そう感じながら、
彼女は黒板に向かって一歩、歩み出した。
つづく。