【指揮権密約・憲法改正】アメリカ有事の際 自衛隊は米軍の指揮下に入る #shorts

越前屋弘之午前の部


こんにちは、\イッカクです/
今回は、指揮権の密約について

アメリカ有事の際 自衛隊は米軍の指揮下に入る!
アナタは、知ってましたか?


■編集後記
この件、エックスでポストされています。
【民衆絆の党】の座談会より

日米安保条約は1951(昭和26)年 9月8日、サンフランシスコ平和条約が署名された同日の午後に、日本と米国との間で結ばれた。 そしてその翌年、1952年7月23日、1954年2月8日の二度、当時の吉田茂首相が米軍の司令官マーククラーク大佐と、口頭での「指揮権密約」が成立してます。 つまりこの指揮権密約で吉田茂とクラークとで、吉田茂氏はこの合意は日本国民に与える政治的衝撃を考えると、当分のあいだ秘密にされるべきであるとの考えを示し、合意された。 日米安保条約の後に締結されてるから、指揮権密約は有効になってしまいます。 講談社の現代メディアで矢部 宏治氏(慶應大学卒業後実業家でもあり作家の方)も詳しく明記してました。 gendai.media/articles/-/105 x.com/nora1103n1/sta この会談でマーククラーク大佐は、 「戦争になったら日本の軍隊(当時は警察予備隊)は米軍の指揮下に入って戦うことを、 はっきり了承してほしい」 と吉田に申し入れているのです。 そのことは、次の吉田の答えを見ても明らかです。 「吉田氏はすぐに、有事の際に単一の司令官は不可欠であり、現状ではその司令官は合衆国によって任命されるべきであるということに同意した。吉田茂氏は、この合意は日本国民に与える政治的衝撃を考えると、当分のあいだ秘密にされるべきであるとの考えを示し、マーフィー〔駐日大使〕と私はその意見に同意した」戦争になったら、誰かが最高司令官になるのは当然だから、現状ではその人物が米軍司令官であることに異論はない。 そういう表現で、吉田は日本の軍隊に対する米軍の指揮権を認めたわけです。 こうして独立から三ヵ月後の1952年7月23日、口頭での「指揮権密約」が成立することになりました。

では、また。

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