第10章:魂の共鳴──“つむぐ”という選択
かつての私は、「世界の不条理」に憤り、
何かと闘うように情報を集め、言葉を発し、抗おうとしていた。
だが、いまの私は、その姿勢に一つの「揺らぎ」を覚えていた。
なぜなら、「真実」を叫ぶことが、
必ずしも「調和」へと導くとは限らないと知ったからだ。
そして、静かに、深く、自らと“つながる”ことが、
世界とつながる第一歩であることを、ようやく実感し始めていた。
ある春の朝。
私は米農家の手伝いに向かう道すがら、ふと、自分の足元を見た。
土の上に咲く、名もなき草花。風に揺れる稲の苗。
それらは、誰に指示されることもなく、ただ「そこに在る」。
自然の営みには、権力も命令もない。
あるのは、無数の「つながり」──そして、その中にある見えざる“共鳴”。
「つむぐ」こと。
それは、目に見える行動だけではない。
言葉にならない思いや、
行為の背後にある“意志”をも含めて、
「何か」と「何か」を編み合わせること。
「サトコ、あんたは“つながる”だけじゃなく、
“つむげる”人だよ。」
そう言ってくれたのは、
畑仕事の合間に会った、おばあちゃんだった。
その人は、私の話を特に詳しく聞いたわけではなかったのに、
不思議と核心を突いていた。
「つむぐってのはね、
バラバラのものをまとめるって意味もあるけど、
自分が“間(あいだ)”になって、
誰かのために“場”を用意するってことでもあるんだよ。」
おばあちゃんの言葉は、
まるで風が耳元で囁くようだった。
私はふと、「つながり隊」や「オコメつむぎ隊」の
構想を思い出す。
マネーを介さず、
信用や共感によって物が動き、
人が動く──そんな仕組みが、少しずつ芽吹き始めている。
それはもしかしたら、「戦い」でも「革命」でもない。
もっと静かに、でも深く世界を変えていくやり方。
情報を武器にせず、共鳴を“楽器”として奏でるような方法。
私は今、ようやく“合氣”の本質が見えてきた気がした。
力で押し返すのではなく、相手のエネルギーを受け取り、流し、活かす。
自分を通して、その力が変容していく。
「躱す」ことで、「ほどく」。
「戦わない」ことで、「勝ち抜く」。
世界のあちこちで、小さな「つむぎ」が始まっている。
そのどれもが、サトコという名前ではないかもしれない。
だが、それらは共鳴し合い、見えざる光の網を編んでいく。
それは、支配の網ではない。
解き放つ網──自由へとつながる“道”なのだ。
私は、静かに深く、腹の底からこう呟いた。
「これが、私の選んだ“道”──“つむぐ”という、魂の選択」
つづく。