第7章:バイデンなのか、トランプなのか
──見えているものの裏にあるもの
最近、ふと考えることが増えた。
「今のアメリカの大統領って、本当にバイデンなのか?」
誰かに訊かれたわけではない。
これは、私自身の中から静かに湧き上がってきた問いだ。
テレビをつければ「大統領バイデン」と繰り返し報じられる。
でも、心のどこかに引っかかる違和感がある。
あの映像は本物なのだろうか?
あの聲は、確かにバイデン氏だろうか?
SNSには、未だトランプ氏が各地で演説を繰り返す様子が溢れている。
にもかかわらず、日本のニュースでは
「元大統領トランプ氏」という見出しが並ぶ。
「いったい、誰のためにこの言葉選びがされているのだろう?」
私はパソコンを開き、海外のニュースサイトを片っ端から検索した。
同じ「President Trump」「President Biden」の肩書きが混在し、
まるで二つの現実が並行して流れているようだ。
念のため、英語圏の公式ホワイトハウスサイトにも飛んでみる。
そこでは「President Donald J. Trump」と書かれている。
一方で、「President Joseph R. Biden Jr.」と謳う政府公式も存在する。
──これは一体、どういうことなのだろう?
答えを求め、再び宮城先生のもとへ向かった。
放課後の教室に差し込む夕陽が、私の問いを静かに待っている。
「先生、アメリカの大統領は、いったい誰なんでしょう?」
私の素朴な問いに、先生は少し笑ったあと、こう答えた。
「それは複雑な“言葉の魔法”だよ。
報道は、時に真実を映し、時に幻想を映す。
どちらが“本物”かは、
情報を流す側の意図によって決まってしまうんだ」
先生は黒板に次のように書いた。
「たとえば『前大統領』と呼ぶことで、
過去の人物として切り捨てたい。
逆に『現大統領』と呼べば、
権威を承認し、支持を固める。
こうした“言い回し”は、
小さな操作のように見えて、
実際には大衆の認識を左右する強力な武器なんだ」
言葉が鋭く胸に刺さる。
私たちは、無意識のうちにそれに踊らされている。
では、その“魔法”に対抗するにはどうすればいいのか。
先生は、ノートの余白にこう書き込んだ。
「自分自身の感覚を、常に整えておくことだよ。
呼吸を整え、情報を一度、咀嚼する。
本当に腑に落ちるかどうか、
自分の內なる聲に耳を澄ますんだ」
そのとき、私の中で一筋の光が射した。
言葉をただ受け取るのではなく、
自分の中で問い直すクセこそが、真実への扉を開く鍵なのだと。
帰り道、私はスマートフォンを
そっと胸のポケットにしまい込んだ。
今の私は、
誰かの言葉に踊らされるのではなく、
自分の言葉で世界を捉えたい――。
「バイデンなのか、トランプなのか」
という問いさえも、答えを焦るのではなく、
「その裏に何があるのか」を探るための入り口にすぎない。
世界は依然として混沌とし、
恐怖や不安が渦巻いている。
だが、私たち市民が整えた心と
體をもって立ち向かうなら、
言葉の魔法を見破り、
情報の闇を照らす小さな光となれるはずだ。
──言葉の裏にある意図を見抜く目を、私は、これからも育てていく。
そして、真実を自らの言葉で語れる市民になることを、心に誓った。
つづく。