【木下竹次 著「学習原論 」】縛即解・解即縛 学習も、この境涯に達しなくてはならぬ。・・・身体感覚を取り戻す 腰・ハラ文化の再生・・・型とは?

こんにちは、\イッカク です。

今回のタイトル
の言葉を著した人が
木下竹次氏

彼の説かんとするところは
日本人の心と動き(技・しぐさ)の
原点にある
大切な三次元の顕現の奥にある
四次元以上の形而上的な
確かに存在する何かです。

出自情報について詳しくは、
コチラで、どうぞ
コトバンクに飛びます

今回は、彼が著した著書「学習原論 」の
中にある

縛解一如について
述べているところが、

すごく、肚に落ちて
すっきり感がある教え方だなぁと
素敵に感じます。

縛解一如(ばっかいいちにょ)
という考え方がある。

<引用開始>_______________

人は自由を欲するとともに
束縛を欲する。思うに自由と束縛とは相対的なもので
絶対的に束縛もなければ自由もない
はずである。鳥も空気の抵抗がなくては飛べない。釘も木片の反対がなくてはきかない。学者は自説が黙認されることを苦にする。政治家は善悪がないように
なれば生命がなくなる。この縛解一如という考え方からすれば、
課題はとりあえず制約や抵抗を取り除くこと
にではなく、力を引き出すために
的確な制約や抵抗を設定することにある。型は、こうした意味での抵抗である。
型は通常は、自由を制限するものと
考えられがちだが、
良い型はむしろ、人を自由にし、
活性化させる。・・・
・・・束縛は自由を激成し
束縛打破は自由行動者の
愉快とするところである。

自由行動がその束縛そのものに
感謝することのすくないのは遺憾である。

これを要するに縛解一如でなくてはならぬ。

帯は身体を束縛する。
しかし帯がなくては腹力がなくて

活動自在にならぬことがある。

縛即解・解即縛・学習も
この境涯に達しなくてはならぬ。

<引用終り>_______________

■編集後記

自由か重要とばかりに
権利ばかり主張して
利権ばかり確保して、、、

自分の立場をわからないヤツ。
自分を弁えないやつ。
置かれた状況を踏まえないやつ。

そんひとらは、なーんも
わからんと
縛即解・解即縛・学習が
なっとらんのだろう。

たーだ、めし食って
たーだ、儲けて
たーだ、自慢しよって

人間の
なんたるかを
なーんも、わからんで

たーだ、私利私欲のために生きとる

心の帯が締まってない!
(これは、何を云いたいのか?
つまり、感覚と意識が一致してない
ということです)

ところで、
竹次木下氏の学習理論の構造について
明らかにする論文が
ありましたので、
以下、紹介します。。。

彼の学習理論は、大正デモクラシー時代に
形成されて、その理論は
児童を中心主義教育を遂行するための
日本の進歩主義に強く支えられ、、、
また、ジョン・デューイの教育目的論
の影響を受けていると考えられる。

しかし、彼の理論は
禅や武士道に含蓄されている日本的・
東洋的な精神を保持していたのである。
・・・
⇒■木下竹次の 「学習法 」の 構造
http://bit.ly/2O4bzHn

さて、上記の木下竹次氏の教育理論
における「学習法」の構造を明らかにする
という論文でしたが、

日本人が日本人として培ってきたモノ
それは
「腰肚文化」であり、
私は、コレは、
感覚と意識の一致が
人間覚醒の重要な
ポイントであり
中庸や俯瞰意識を向上し
振動数を高めることにも
つながっていると感じます。

さて、その「腰肚文化」
それは、渡辺保(演劇評論家・淑徳大学教授)氏が
齋藤孝著の
『身体感覚を取り戻す-腰・ハラ文化の再生』
への書評として、以下のように
述べていることに注目です。

<引用開始>_______________
イチローはなぜ内野ゴロを喜んだか
1999年のある日、イチローが
「ポテポテのセカンドゴロ」を打った。
たかがセカンドゴロ。
しかしこの一打こそイチローの野球人生のなかで
「飛び上がりたいほどに、嬉し」いヒットだった。
なぜイチローほどの大打者がセカンドゴロに
そんなに喜んだのか。
この一打によってイチローは、
自分の身体の感覚と実際の動きが
パッと目の前で一致する
奇跡的な光景を見たからである。
自分が見える。
「ああツ、これなんだ!」。
イチローはそのときそう思った。
一塁に走るイチローの脳裏には、
どこの筋肉の動きが悪くて
セカンドゴロになったのかが
「あやふやでなく、
頭と体で完全に理解」できた。
このイチローの体験談
(『新潮45』別冊)から、
著者は感覚と意識が一致し、
それまでの膨大な打撃練習の
「技(わざ)」が一挙に爆発して
世界を開き、一つの「型」に
昇華する瞬間を捉えている。
イチローはこの一打によって
自分の型を発見し、
自分の動きを正確に捉えるコツを
会得した。
だから嬉しかったのである。
「型」はこのような感覚の
「技」化であり、
人々の規範になると同時に
一人一人がその規範を通して
自分の個性を生み出す手段である。
この話一つをとってもわかるように、
この本は豊富な資料を分析して、
読者に多くの示唆を与える。
むろん「型」「技」などといった言葉は、
それほど頻度は高くなくとも、
私たちが日常使っている言葉である。
なによりも「身体」は私たちがこうしている
瞬闇にも付き合っているものだろう。
ところが一度その意味を考えはじめるやいなや、
実態がよくわからなくなる。
深い霧に包まれてしまう。
しかしこの本を読むと、
その霧が一挙に晴れる。
画期的な身体論である。
著者のとった方法には
三つの特徴があると私は思う。
第一に、
今までの身体論と違って著者は
実地の体験から「身体」を捉えている。
「十指に余るさまざまな身体技法」を
体験し、謡や仕舞をならい、
歌舞伎の体の使い方、
ロンドンのナショナル・シアターのワークショップ、
ヨーガ、太極拳、野口体操、禅、オイリュトミー、
そしてテニスその他のスポーツ。
芸術であれ健康法であれ
スポーヅであれ手当たり次第、
なんでも体験した。その現場の体験の、
いわぱ内側から人間の「身体」を
捉えたところに説得カと解りやすさがある。
第二に、
言語化への努力。
著者は単になにかを体験しただけではなかった。
どうすればその体験を言語化することが
できるかを考えた。
言語化しにくいものを言語化しようとすれば、
どうしても論理化が必要になる。
その論理化への操作が
言葉への強い関心となり、
今日失われつつある
日本人の身体に関する言葉の探求になった。
第三に、
失われつつある言葉を捜せば、
そこに歴史的なアナログな視点が導入される。
日本語には
「練る」「磨く」「研ぐ」「締める」「絞る」「背負う」
といった動詞が身体の訓練に結びついている。
「心身を磨く」といった具合である。
「磨く」という言葉自体は
決して身体に便われる言葉ではないが、
それが身体と結びついている
ところに日本の「カラダ言葉」の
独自性があった。
「あった」というのは、
これらの言葉が生活様式の変化とともに
今日失われつつあり、
動きそのものが失われつつあるからである。
以上三点。
もうお分かりと思うが、
この本の題名になった
「身体感覚を取り戻す」は、
日本人の身体感覚の失われつつあるものを、
いま、取り戻すべきだという主張である。

日本人の身体感覚とは、
傍題にもある通り
「腰・ハラ文化」。
腰が入っていることによって
呼吸が安定し、
その呼吸の深さがハラをつくる。
ハラは人闇の行動の原理、指針であり、
人闇の生き方の基盤である。
著者は身体感覚を通じて、
もう一度自分自身のなかに
「自己」の中心を求め、
同時に身体の外側の空間にも
中心を求めている。
この身体感覚の二重性が
私にはきわめてユニークで
重要な指摘だと思われる。
日本人の身体感覚の劣化は、
朝のラッシュの乗客の動きを見れば
一目でわかる。
平気でぷつかって来る人、
人を避けようともしない人、
自分の背後にどれだけの人が居ようと
ノロノロと歩く人。
それはモラルの問題でも
健康の問題でもない。
身体感覚が衰えているからであり、
その結果は駅だけではなく、
学校にも病院にも
官庁にも舞台にも
競技場にも溢れている。
この危機的な状況を救うためにも、
もう一度「腰・ハラ文化」を
考えることが教育改革よりも
IT革命よりも重要なことだろう。
なぜならぼ
身体を考えることは
文化の深属を考えることであり、
人間と空間、
人間関係を考えることであり、
世界を考えることだからである。
それだけではない。
最も重要なことは、
人間の精神を「身体の牢獄」から
解放するために
必要なことだからである。
この本は、
これからの身体論の基本的な
テキストになるだろう。
コロンブスの卵である。
(毎日新聞 2000年12月17日より)

<引用終り>_______________

冒頭に、イチローの話が出てきましたので
ちょっと振り返ります。
■感動をありがとう イチロー選手 動画まとめ Ichiro Career Highlights

話を戻しますが、
天才と言われたイチローでさえも、
「感覚と意識の一致」
が得られるのに
相当、意識の訓練をしたのでしょうか?
それは、一瞬に起こったようです。
前触れもなく
「気づいてしまった」
ことであり、何か
そのために
特別な努力や訓練をしていた
からでは、無いと思います。
では、なぜこの悟りにも似た
覚醒め「スパーク」が
起きたのか?
それは、普段から
覚悟を決めて、
自分と向き合って
正直に淡々と
「練る」
「磨く」
「研ぐ」
「締める」
「絞る」
「背負う」ことを
やっていたからでは
無いだろうかと思うのです。

これは、今回のタイトルにある
「縛即解・解即縛」に秘められて
いるようでもあります。
帯で腰を締め付けることで
体からの反発でエネルギーが
発生するような感じになる。
渡辺保氏は、また、このような
ことを云ってます。
https://www.nttcom.co.jp/comzine/no078/wise/index.htmlより

日本には、歌舞伎、能、狂言、文楽という
4つの古典劇がありますが、
その4つともに「型」があり、
それを基本としています。
その「型」が、演じる人間を
締め付ける。
締め付けられるから反発する。
そこにエネルギーが出てくるんです。
・・・
「型(かた)」と「形(かたち)」とは
違うものです。「形」というのは、
その時のポーズですが、
「型」というのは、そのポーズも含めて
そこまでの手順、
そしてそれが決まった時に発する
オーラも含めたすべてが「型」なんです。
だから形が奇麗だということだけで
評価してはいけません。
それは上辺の視覚的な奇麗さであって、
心の問題まで届いていない。
型が生きなければ、
そこから人間の秘密は出てこないんです。

たとえば、この「型」を
実際に表現しているのが
■武原はん 地唄「雪」(解説 渡辺保氏)

また、「型」の理解について、以下のような
認識を語っておられる動画がありました。
■【人生の爆発的好転】
あなたがエネルギーの源泉になる
方法教えます

やはり、「型」というのは
イチロー選手の例で言えば、彼が
どのような過程で、彼の世界観を
創造したのか?
言うなれば、そのモデル覚醒者が
その型を通して、どんな感情や感覚
を持って変化していったのか?

その「もっと赤いピンクのシャツ」
の意識過程を私達が知ることが大切ですね。

「マインド、世界観、心のあり方」
を「まねぶ」ことですね。

今回は、以上です。
日本人として、目覚める
きっかけとなれば嬉しく思います。

ところで、「学習原論」について
すでに、古書扱いになっております。
入手は、困難であろうかと。。。

しかし、
国立国会図書館ディジタルコレクションに
保存されてますので、
是非、読まれたい方は
コチラ ↓(クリック)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940092?contentNo=23
読みたい頁へは「コマ番号」を
指定してください。

では、また。


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身体感覚を取り戻す 腰・ハラ文化の再生 (NHKブックス)

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