【日本の売国奴系譜】_その2:日本を破壊したゾンビ政治と愚民化のための言論統制・・・戦後体制における情報操作と 「文芸春秋」の役割

こんにちは、\イッカク です。/

こんな日本になってしまった原因は

売国政権であり、その詳細は
意外と知らないのでは無いでしょうか。

前回に続き今回は、2回めです。

過去のソース(2017年)とはなりますが
タイトルにある内容で、
フリーランス・ジャーナリスト、
慧智研究センター所長の藤原肇氏
の記事から、以下引用して置きます。
http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/zaikai201804.html
<引用開始>____________

戦後体制における情報操作と
「文芸春秋」の役割

私はカナダと米国で四十年過ごしたが、
世界を舞台に言論活動をした最初は、
1971年に『文芸春秋』に書いた
記事で、石油危機が襲来する警鐘を
鳴らした。
それを含む『石油危機と日本の運命』が、
1973年秋の石油ショックの時に、
ベストセラーになったお陰で、
帰国のたびにメディアから
声が掛かった。
だから、文芸春秋社とは関係が続き、
その動向について観察したが、
文芸春秋社は内調のカネで
『諸君』を創刊し、
その担当者が田中健五だった。
また、私の読者の一人で警視監を
歴任してから、米国でCIAの訓練を受けて、
内閣調査室にも勤務体験を持つ、
松橋忠光さんから聞いたので、
それを『インテリジェンス戦争の時代』に、
次のような証言として記録した。
「・・・一九七〇年代初期の
『文芸春秋』に寄稿していた頃に、
『諸君』の田中編集長に紹介されて
執筆を頼まれたが、書く気はないと
断わると取材協力を頼まれ、
レコーダーの前で喋ったものが活字になり、
商社マンの裏話という形の変名記事に
仕立てられた。
その頃の私はウブで日本の事情に未だ疎く、
日本文化会議など知らなかったので、
在外公館の実態を話し合うように頼まれ、
ジャーナリストと1時間ほど喋ると、
屋山という御用記者の名前で記事に
なったが、その時に『諸君』が
でっち上げや、謀略好みの雑誌だという
印象を持った。
暫くして『諸君』から『文芸春秋』に
移った田中編集長は、私の記事を
かなりの変更や、大修正して掲載したが、
ある記者の記事などは6割が、
私のボツになった原稿でできていた。
このような目茶苦茶が続いたので、
江戸っ子の私が絶交を言い渡したら、
残念という短文の手紙が届いた。
歴史の証言を集めるのが
私の長年の道楽だから、
老人や読者を訪ねては
昔話を聞き歩いているが、
あるとき引退した警察庁の
トップとの会話で、
『文芸春秋』の田中編集長と喧嘩して
絶交したと言ったら、
こんなこともあると教えてくれた話がある。
プロ野球の川島広守コミッショナーは、
内調室長や内閣官房副長官を歴任したが、
60年アンポの後に
ユーゴの一等書記官から戻り、
『俺がアンポ騒動の時に日本にいたら、
岸首相が辞めるようなぶざまな警備はしなかった』
と悔しがっていた。
そして、大使館への出向以外は東京を離れずに、
警視庁と警察庁の往復専門で公安を担当したが、
警察庁時代の川島警備局長は、
何か問題が起きると
『田中を呼べ、田中に来いと言え』
と怒鳴り、そこに駆けつけるのが、
取材記者時代の田中健五だった。
こうして内調ルートで編集者として出世し、
『諸君』の編集長にも就任したのだから、
田中編集長が頻繁に交際した影響力で、
清水幾太郎が転向した理由も分かった。
また、『われわれ警察OBは
三田中と呼んで、
田中清玄、田中角栄、田中健五の
戦後派トリオは、闇のキングで
お国のために役に立った点で、
それなりに功績を残したと
評価しています。
かつては保守派のサロン誌だった
『文芸春秋』は、政府の広報記事や
内調ルートのネタが多いし、
国民の宣撫工作用に役に立っていますよ』
とその内務官僚OBが苦笑して
いたのが印象深い。・・・」
そういった
工作の総元締めは川島広守で、
彼は警察庁の警備局長から
長官になり、内調室長を経て
官房副長官で退官後は、
セントラル・リーグ会長に就任した。
また、日本のプロ野球システムは、
読売社長の正力松太郎と同じで、
公安警察向けのCIAの指定席だが、
お人好し日本人は仕組みに
気づかない。だから、『文芸春秋』は
官房機密費の政府広報がダントツで、
田中の出世の足場は
内閣調査室だったが、
その使い走りが彼の人生の始まりだ。
また、『諸君』や『正論』で
名を売った学者が集まって、
「政策構想フォーラム」などの
組織が発足し、
それが大平のブレーンを
経て中曽根のブレーン政治になった。
1980年代に電通が
メディア工作用に「青の会」を作り、
田原総一郎がその幹事役に抜擢された。
電通は満州帰りの特務を雇い、
広告主や政治家の子弟を採用し、
学者や評論家を権力の御用に仕立て、
メディアの上で活動させていた。
私が育てた何人かの若い人材に
手が伸び、雑誌の座談会や
テレビの討論会に、出席する誘いが
掛かってきたので調べた。
そうしたら、政府の機密費と
財界のカネが動いていて、
若くて有能でもカネに
飢えた人びとが、
どんどん引付けられて
いたのである。
そして、1980年代に
PHPが「松下政経塾」を生み、
「世界平和研」や「笹川財団」などと
並んで、平野さんが論じる
「三宝会」が発足したが、
発起人の
福本邦雄は政界フィクサーだ。
彼は水野成夫社長に拾われて、
産経新聞の記者を経て
岸内閣の時代に政界に入り、
椎名官房長官の秘書になった。
その後は京都放送の社長や
政界顔役になり、
画商として竹下の
金屏風事件を仕掛け、
後で中尾栄一建設相の
収賄で逮捕されたが、
竹下の利権人脈のキイマンだった。
<引用終り>____________
(次回へ続く)

■編集後記
戦後の社会不安定な時期に
GHQ主導の3S政策が
始まったわけですが、
既に
日本を仕切る配役
=世界金融組織のエージェントは
決められており、
政界+財界+放送界
はウラで手を組んでいたわけです。
そして、日本は実質
植民地なわけです。
様々な嘘・偽りで、日本人は
ひどい目に遭ってきました。
現在が、戦後、これまでにない
ひどい状態です。
これも、売国奴政権が面々と
安倍ちゃんまで受け継いできた
せいでもあるのです。

では、また。


スポンサーリンク

■藤原肇

■国際金融同盟

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。