【魂の法則:ヴィセント・ギリェム】「03.序文」より

こんにちは、\ソウジャ です。/

前回より、引き続き
深遠なるヴィセント・ギリェム氏による
「魂の法則」のコンテンツについて
以下、情報を置いときます。

■03.序文 魂の法則 ヴィセント・ギリェム

<以下は文字起こしです>
僕は長い間、いつも多くの疑問を抱えてきた
それらは存在の根源に関するものだった。
いつも自分の人生の目的や
皆の存在理由を知りたがっていた。
僕は何者かなぜ存在しているのか
他者はなぜ存在するのか
僕らはここで何をしているのか
何か特別なことをするために
やってきたのか
人はなぜ生まれ死ぬのだろうか
僕らはどこからやってきて
どこに向かうのか
死後にも何かがあるのだろうか

そして
それでおしまいではなかった

時には世界中で目にする
おびただしい不正に対する答えを求めた

人生はなぜこれほど不公平なのか
誰にも危害を加えたことのない
小さな子どもが
生まれた時から誰からも愛されずに
飢餓、戦争、貧困、病気、搾取、虐待で
残酷なまでに
苦しむその一方で
健康に生まれつき
幸せな環境で愛される子どもがいるのは
どうしてか
なぜ病気になる人とならない人がいるのか
長生きする人がいる一方で
生まれた途端に死んでしまう人がいるのはなぜか
苦悩や悪意があるのはなぜか
善人と悪人幸福な人と不幸な人がいるのはなぜか

僕はどうしてこの
家族の元に生まれ他の家ではなかったのか
どうして他の人ではなく
この僕にこんな災難が降りかかるのか
他の人に起こる不幸が
自分に怒らないのはなぜか
これらの違いはいったい何によるのだろうか

またある時は感情面でのものだった

なぜ僕は幸せではないのか
なぜ幸せになりたいのかどうしたら
幸せになれるのか
僕を幸せにしてくれる
愛の対象を見つけられるだろうか
愛とは何でその感情とはなんだろう
この気持ちはなんなのか
愛する価値があるのか
愛する方が苦しむのか
あ~、
それとも愛さない方だろうか
おそらく君も人生のある時点で
同じような質問をしたことがあるだろうし
今でも時々そのように考えることが
あるのではないだろうか

でも僕たちは日常生活の一日一日に
追われているので意識して
このような問題を提起
する機会も答えを見つけようと
努力する時間もあまりない
僕たちには
いろんな義務や気をそらされる雑事が
多すぎるのだ

そして答えは
簡単には見つからないし探求すると
自分が不安になるので
疑問は心の片隅に押し込めておくのだ
そうすれば
苦しみが軽減されるとでも
思うのかもしれない

これらの疑問の一つ一つに
答えはあるのだろうか
ありきたりな
答えを求めているのではなく
本当のことが知りたいんだ
真実は存在するのか
何が真実なのだろう
どこに真理を求めるべきか
そしてそれが本物だと
どうしてわかるのだろうか

ボクは常に懐疑的で疑い深い
人間だったが
探究心も旺盛だった
いつも自分自身で物事を
確かめるのが好きだった
だから小さい頃から
教えられた宗教・哲学・科学の中に
答えを見いだそうとずっと長い間
探し求めてきたのだと
自信を持って言える
そしてどの分野にも
世の中の理解が深まる
独自の宇宙観があったが
自分の現実をありのままに
説明するには宗教にも
科学にも限界があるように思えた

いつも現実からかけ離れた
中途半端で矛盾しあう答えしか
得られずに僕の疑問が解消
することはなかった
深く追求しようと
どんなに努力を重ねても
最後には破ることのできない
「壁」
質問を続ける気が損なわれてしまう
最終回答に突き当たった

宗教から得られた
最終回答は神の御心です
神のみが知るのです
私たちには計り知れません
というものだった
つまり人の生まれている環境に
どうして優劣があるのか
病気になる人とならない人がいること
寿命の長さの違いなどは
僕たちには理解で来ないということだ
死後に起きることや
他でもなくこの家族の元に
生まれたわけや
なぜこんな世界なのか
とか神がこの世の不正を許容する
理由などは
僕たちにはとうてい
理解できないということなのだ
そして科学から得られた
最終回答はだいたい次のものだった

すべての事象は
物理的な説明が可能だが
哲学的な観点から言えば
ほとんどは偶然の産物か
それが存在するかどうかは
科学的には証明できない
ということになる
つまり君が存在しうるに
足る理由はないし
生きるに値する特別な目的も
ないということだ
もしおおむね恵まれた環境のもとに
生まれたのだとしたらそれは偶然だ
生まれつき病気だったり
健康などもどの家族に生まれるかや
寿命の長短なども偶然だ
科学的には生まれる以前の生や死後
の生の存在などは証明できない
科学的には神が存在することも
証明できない
などなど

大抵の人はこのように教わったことを
真に受けているので誰かと話をしても
宗教を信じている人であれば概ね
神の御心です神のみが知るのです
私たちには計り知れませんと答えるだろう

一方、科学を信望する科学者の立場を
とる人たちは
宗教を信じる人たちよりも
知識があると信じ込んでいて
それは偶然の賜物だ
または科学的には証明できない
と答えるだろう
僕にこんな風に答える

第3のタイプの人たちもいた
さ~、知らないな
君の質問に対する答えが
何かは分からない
でもそういうことを
自問するのにも
答えるのにも
興味がないんだと
そして僕が彼らに悪いけれど
その回答は役に立たないよ
僕の質問にきちんと答えて
くれていないのだから
と言うと
神を信じる最初の人たちなら
それは信仰心がないからだよ
信仰心さえあれば
知る必要なんかないよと言う

2番目の科学信望派なら
君には必要な知識が欠けているからね
科学は答えをくれるさ
それが僕の言うところの
科学では証明できないってことが科学的
に証明されていることなんだよと
返答する

第3タイプは
支払わなければならないローンがあるし
食べさせないとならない家族がいるし
分割払いの車がある週末には旅行に行く
ことになっているし
もう十分忙しいんだから
こんなことでこれ以上僕を
煩わせないでくれよと言う

最初の人たちには僕が自分の疑問に
答えを見出そうとするのを
止めるなど無理だと
答えよう
僕自身の意志に背かない限り
絶対に諦めることなどできないし
僕はそれだけはしない
からだ

第二の人たちには知識の欠如による
ものではないと答えたい
そのような知識は
学んだ僕は科学博士だし
物事の探求に限界を設ける必要がある
という結論に達したこと
は一度もない
計測する道具がないから
といって踏み込めない
分野があるとは思わない
ぼくにはぼく自身がいるし
自分が自分の計器となればいい
僕は自分が知覚した後は
精密な計器で測定できたも
同様に皆しているので
他者もそれぞれが感知器である
ことを認めよう
だからぼく自身の計器で
感知できないことがあったら
他の人たちに
その人たちの感知器では何を
捉えたのかを聞いて
役に立つのか見てみようと思う

第3の人たちは
何も言わないでおこう
彼らは僕の話を聞きに来ている
のではないから

こう言ってはいても
答えの探求において役に立ったり
注目するような事柄に出会え
なかったわけではない

だけどより多くのヒントに出会えたのは
正規の道筋から
外れたところであった

中でも最も興味を惹かれたのは
他の人達の体験だった
それは自分でも試せるものだった
誰かが以前に経験したのだとしたら
僕にも体験できる
かもしれないからだ
特に2つのことに興味を持った
アストラル体幽体での旅と
ナザレのイエスの生涯だ
この名前には聞き覚えがあるだろう
僕は教会がイエスについて
どういっているかを
取り上げたいんじゃない
公式なもの非公式なもの
宗教上のものも世俗的なものも
様々な起源の
ずいぶんたくさんの資料にあたってみたが
ほとんどのものが
2つの点で共通していた
それはこの人物が実際に存在したということと
話したり言ったりしたことが人類史上に
多大な影響を与えたということだ

いったい何が僕の注意を引いたのだろう
それは
汝の敵を愛せよ
どんな人でも愛せよ
という彼のメッセージだった
すべての宗教の神々が征服や戦争を
正当化するために利用され
人々や民族がありとあらゆる
口実で絶えず戦い合っているような
世の中で
それと全く反対のメッセージを
携えた人物の現れたことが
目立たないはずはないだろう

そしてそれだけでなく
自分を手本として
実践してみせたのだ
つまり
過大な約束をしておきながら
後ろでは
いったことと反対のことをする
おなじみの
政治家のように
口先だけではなかったのだ

けれど
イエスについては
死後に彼以外の人の中には
彼と出会いもしなかった人たちによって
書かれたものがあまりにも多すぎて
一体どうしたら本当に
起きたことが分かるのだろう
彼が実際に言ったこと
または言わなかったことは何だったのか

僕にはそれが気になった
イエス のテーマは後ほど改めて
取り扱うので一旦置いておき

今度は「アストラル trip」
という幽体旅行について話したいと思う
僕は様々な著者の色々な本のなかで
その事象を知った
彼らは体をリラックスさせるテクニック
によって自分の体から離れる
ことが可能だとしていた
これが幽体離脱
astral projection である

信じられないだろう
自分自身の身体から
離れられるということに
興味を持っただけではなかった
この人たちはその状態で
物体の中を通過したり
考えだだけで一瞬にして好きな場所
に移動するというような
驚くべきことを
やれると断言していたのだ
しかも
それだけではなかった
その状態では
意識が拡大するため人生の目的や
この世でするべきことが
はっきりと理解できるというのだ

僕はこのことに
関心を持った。
もしかしたら
疑問に対する
答えを得られるかもしれない
失うものは何もない
最悪でも何も起こらないだけだ
と考えた、そこで実際に
取り組んでみることにした。
毎晩、寝る前には
リラックス体操を行ってみた。
1ヶ月ほどは何も起こらなかった。
つまり体から離れることには
成功しなかった。
だけど
リラックスすることで何も
感じられないわけではなかった
これはなかなか気に入った。
通常感じられたのは
足の裏の振動で上昇してきて
足の感触を失うこともあった
ある日この振動は足よりも上に
胴体へ首へそして頭へと上っていって
とうとう体の感覚がなくなった。

激しいながらも
心地よい振動だけとなり
そしてそれは起こった
突然「すぽっ」と超スピードで
トンネルの中に
発射されるような感じを
味わった。
それは本当に信じがたい感覚で
言葉でどう表現していいのか
わからない。
目が回るような速度で一瞬のうちに
何億キロメートルも旅した
ようだったが不快なめまいも酔いも
感じられなかった。
そしてスピードが少しずつ減速して行って
自分のいる場所を見てみることができた。

それはおとぎ話から抜き出したような
信じられないところだった。
表現する言葉もないほど
美しい自然に囲まれた湖があった。
すべてが光も色も香りも音も
本当に何もかもがうっとりするようだった。
そして僕自身が
その場に溶け込んだかのように
すべてを生き生きと
感じた言い表せないほどの
平和が息づいていた。

僕は体験していることすべてに
あまりにも驚いていたので
何も考えられないでいた

そのとき
1人でいるのではないことに気づいた。
水辺近くの石の上に座っている人がいた。
自分でもどうやったのかわからないが
近づきたいと思っただけで
すぐにその人がいるところに行き着くことができた。

どうやらそこでは
「したい」
と心の中で思ったり考えたりするだけで
実現できるようだった。
彼は僕のことを待っていたようで
僕を見ても全く驚かなかった。
歳をとっていて髪の毛も長いヒゲも完全に
白髪ではあったけれど
老人につきものの疲労や苦悩の跡は
見られなかった
白い祭服のようなものを着て
ひもで腰を占めていた
でもそれが一番目を引く点ではなかった。
僕が惹きつけられたのは彼の眼差しだった。
あのような素晴らしい瞳は
この世では絶対に
見ることができないだろう。
優しく人を見通すように透き通り
例えようがないほど落ち着いた
平和な気分にしてくれた。
変に聞こえるかもしれないけれど
その見知らぬ老人の愛に
満ちた眼差しに射抜かれて
しまったようで、僕は自分が置かれた
その居心地のいい状況を
太して奇妙だとも思わなかった。

ここからは臨也(イザヤ)という名を
かたったその素晴らしい老人との
対話をこの最初の出会いと
その後の巡り会いを思い出して
再現してみたいと思う
彼との対話は僕の人生をより良いものへ
いや、はるかに良いものへと
根本から変えるほどのものだったので
それを出来る限り忠実
に再現して皆さんと共有したいと思う
僕の解釈や印象にとらわれることなく
彼の言葉を直接聞いて皆さん自身が
自分なりの
結論を引き出してくれればと思う
さぁ、くつろいで座ってもらいましょう
幕が上がるから・・・

■編集後記
実は、ここだけの話なのですが、、
皆さんが、「宇宙人」と呼ばれる
地球人にそっくりの・・・
そうですね、
「ヒューマノイド・タイプ」って
言うんですよね、あの方たちは、、、
その方たちとの
コンタクト経験が約30年前に
私の身内に有りまして、
そのコンタクトした時の様子を
語った内容が
上記の表現にそっくりなのを
憶えています。
それは、
人を見通すように透き通る視線。
例えようのない落ち着いた雰囲気。
それと上記の音声動画には
無いのですが、
ゆっくりとした動作で
お茶やタバコを
嗜んでみせたのです。
タバコを吸う仕草のときには
視線をタバコの火の突いた先を
じっと見つめて、
「その真っ赤になってる
火先のエネルギーを感じるように」
わざと、弟の前で
ゆっくりした動作で
見せてくれたそうです。

この動画シリーズでは、
人間とは何かの本質について
学び、そして、人間の本質である
「霊的」レッスンが
地球人にとって、未だに
理解できていないことに対する
何らかの
「情報拡散」機運であることは
間違いない大イベントなのです。

そのような意味で
この動画シリーズをオススメします。

まったくマネーのかからない
普遍的なレッスンであり
必要なのは、落ち着いて
観る環境と時間さえあれば

人間の本質が学べるのです。

では、また。

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