【山本太郎】の足跡について

こんにちは、\ソウジャ です。/

(兵頭先生の関連動画での編集後記
で、記事が長くなりましたので
分けてコチラに置きました)

山本太郎という男ができるまでの
おおよその基盤・定礎が
形成された経緯を

彼のことばで、語っていますので
以下紹介します。

<引用開始>_______________

「二十五歳になった時、
納得できない大人になってたら、死んでやる」
十代の僕はそう思っていた。

芸能界に入ったのは十六。
まわりの大人がほとんど信用できなかった。
言葉巧みに操られ、自分の意思がひとつも
尊重されていないような気がして、
重苦しい毎日だった。仕事先でよく、
大人たちから「お前、ホントに十六か? 賢すぎるなあ」と
言われていた。
適当なことを言っている大人が裏で
何を考えているかを、いつもじっと見ていたからだ。
大人だけじゃない。何かに対していつも怒りがあった。
むかつくヤツは消せばいい。
金がなければ奪えばいい。今さえよければいい。
人生は一度きり。
俺は俺の生きたいように生きる。
——やんちゃな年頃とはいえ、
ずいぶん刹那的な十代だった。

「だけど何か違う」、
そう感じたのが二十一歳。
ちょうどその頃、
姉がヨーガを習い始めた。
僕と同様、悩みが多くやんちゃだった姉なのに、
ヨーガを深め、精神世界に興味を持つにつれ、
驚いたことに、会うたびにまるで
薄紙が剥がれていくように内面の輝きが
増していくのが見てとれた。
姉とは気が合わず、
よく衝突していた母が、
そんな姉の変容を見て、
「私もそうなりたい」とヨーガを習い始めた。
母には膠原病という持病があったのだが、
ヨーガを始めてからは徐々にその症状も安定し、
どちらかというと、
物質至上主義だった母が、
姉の影響でいつしか精神世界へと
⋯⋯
そして、母の内面もそれまで以上に輝きを増し、
大家族の愛と絆が深まった。

そして、これは効果がある、と
僕もヨーガを習いに芝の増上寺に通うようになった。
ヨーガを通して身についたのは集中力。
僕は常にじっとしていられない子どもだった。
とにかく机に五分と座っていられない。
勉強は大嫌い。
字を読むくらいなら、
どこかに遊びに行きたかった。

その、まったく本を読まなかった僕が、
海外ロケの荷物に母が入れてくれた本を
開く気になったのも、
ヨーガで集中力がついたためだろう。
『神との対話』を読みはじめたのは、
『世界ウルルン滞在記』の仕事で、
パプアニューギニアのイリアンジャヤへ向かう途中だった。
七回も飛行機を乗り換え、
最後はドラム缶と一緒に貨物用のプロペラ機で運ばれ、
たどり着いたのは、
「秘境」と呼ばれる地だった。
「文字に慣れていないから最初は読みにくいかも。
でも、飛ばし読みはしないで、
わからないところは元に戻って繰り返し繰り返し読めば、
きっと意味がつかめるよ」
と言う母の熱意に負けた。
始めからすんなり頭に入るわけではなかったが、
集中して読み始めると
だんだん面白くなってきた。
道理に合っている事だらけだった。
科学者も政治家も、偉い誰も説明できなかったことを
ズバズバ切っていた。

イリアンジャヤに着き、ある部族と生活を共にした。
日本とはまるっきりの別世界だ。
食べものも違う。
生活もまるで違う。
十六くらいの健康な娘が子どもを産み、
しつけや教育は酋長がする。
日本なら高齢者は、
社会的には片隅に追いやられることが多い。
だが、ここには経験を積んだ人だからこそ、
必要とされるぴったりの任務があり
尊敬されている。
「若い者が子どもを産み、
五十歳以上の成熟した大人が
その子を育てればいいと
『神との対話』に書いてあったのは、
目の前のこれじゃないのか?」

本に書いてあったことを、
この辺境の地で自分自身の目で
しっかりと確かめたのだ。

帰国後も、まさに
同じような出来事に気づかされた。
『神との対話』はいつのまにか
僕にとってバイブルのような
思い入れのある本になっていた。
破天荒だったこんな僕が変われたのは、
この本との出会いがあったからだ。
だから、日々自分なりに
本に書いてあることを実践している。
たとえば仕事を選ぶとき。
映画やドラマでも、その時々で、
スケジュールや内容、
さまざまな状況が複雑にからんだうえで、
選択を迫られる場面が多い。
そんなとき、損得や目先のことを考えるより、
自分が本当に
心からやりたいことをやるべき
だ、
と僕はそう肝に銘じている。
また、インスピレーションや
ヨーガで少しは開けた自分のカンを
大事にするようになった。
決して大げさなことじゃない。
たとえば朝出かけるとき、
ふと替えのTシャツを
もう一枚持って出かけようかな、
とひらめいたりする。
「まあ、大丈夫か」と
そのまま出かけてしまったときに
限って一日中動き回り、
大汗をかいてびしょびしょのシャツで
過ごすはめになってしまう。
そういうときは、朝のひらめきを
逃した自分を疎ましく思う。
忙しさにまぎれ、
つい「まあ、いいか」と気づかぬ
風をよそおうこともある。
そんな時は、
「ダメダメ、これはきっと自分に
必要なことは自分が一番知っている
ということだ」と
立ち止まってチェックすることにしている。

もともと僕はクリスチャンだった。
だが親がそうだったから
洗礼を受けただけで、
僕にとってみれば単なる
儀式だったにすぎない。
子どもの頃から事あるごとに
自分の勝手で神様に祈ったりしたけれど、
その願いは届いているのかいないのか。
悪事をしては、
あの鋭い母にかかると
すべてお見通しで、
ベッドの中で何度「クソ神様!」と
呟いたことか。
そのうち、大きくなると、
「神様がいるのなら、
なんでこんなひどい世の中なのか?
本当は神様なんていないのでは?」
とむかつくようになっていた。
でも、今は違う。
この本に書いてあるように、
神が自分と同じようなものとして
人間をつくったのなら、
自分たちの力で世界は
変えられるんじゃないかと思う。

今は僕は
特定の宗教を信じているわけでもない。
キリストやマホメット、
ブッタとか、特別に信仰している
神や仏もいない。
だが、いつもなんとなく、
目に見えない大いなる神の存在は
あると確かに感じている。
どこかに向かって祈るわけじゃない。
だが、どんな人も
何かに夢中になっている
一番ピュアな状態が、
神に近いような気がしている。

また、殺戮や貧困、飢餓という
悲惨な状況下の人を行動で見るたびに
心が痛むのは、
僕の存在意識に
「地球人」、「みんなと家族」という
考えがインプットされている

からだと思う。
うちは母子家庭だが、
物心ついた頃から母は
子どもにいっさい隠し事をせず、
「ボーイフレンドができた」
「今月はもうこれだけしかお金がない」など
包み隠さず話してくれた。
母が死んだあとでも、
何が起きても動じないよう、
この世の中で起こり得る
すべての事に対処できるよう
トレーニングを施してくれた。
僕が悪事を働いたときは、
納得するまで説教され、
キッチリとけじめを
つけられた。
母親としてだけではなく、
人間として真正面から向き合ってくれた。
母親でありながら、
「いい師匠に当たったなあ」と
思わせてくれる母も、
『神との対話』に
書いてあるような
「家族」というものの
愛と大きさを、
教えてくれているのかもしれない。

自分が自分らしくない時。
最高の考えも持てない時。
高いビジョンなど
とんでもないという時。

残念ながらそんな日は
多々ある。
そういう時、
僕は『神との対話』を読み返す。
目次を見て、
目についたところをぱっと読む。
地方ロケに行く時にも、
ぽんと鞄に放り込んで行く。
もし、僕も神と対話が
できたら聞いてみたい。
「地球はこれからどうなるのか?」と。

二〇〇二年五月
山本太郎

神との対話〈3〉
宇宙になる自分になる (サンマーク文庫)
ニール・ドナルド ウォルシュ[著]
吉田利子[訳]

<引用終り>_______________
太郎さんは、上記の事以外も
「竹島くれてやれば」発言とか
天皇陛下に直訴の手紙など、
過激に行動と映ったためか、批判の
対象となった時期もありました。
また、、
離婚の経験もあり、嫁姑の間での
問題なんかも有ったことでしょう。。。

しかし、様々な苦難を乗り越えて
現在の位置にたどり着き
大志を抱いて突き進んでいる姿には
幼少の頃から、
そのような眼を持ち
輝かせていたのだと思います。

また、現在は亡くなられたお母様の
影響も受けつつ、
運命の書にめぐり逢ったことで
ご自分の中の意識に覚醒され
その「志」がほとばしるように
具体展開しているようにも見えます。

今までにない、稀有な政治家の誕生です。

庶民に寄り添い
権力を持ってもファシストやレイシストに
ならないように
庶民が監視し、建設的に
盛り上げていこうではありませんか。

では、また。


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■神との対話(山本太郎さんを育成したとも言える神のことば)

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