【山水治夫】ニギハヤヒ・シ♭ 命のオクターブより解説

こんにちは、\ソウジャ です。/

山水治夫氏といえば、前回のブログでも
ご紹介しています。

■【528Hz調律ピアノによる演奏 】瀬織津姫のアリアー癒しの詠唱・チャント 山水治夫

小気味の良いリズム、どこか懐かしい旋律
そして、吸い込まれそうな余韻。。。
さすが、調律師でもある「山水治夫」先生です。

さて、ここで、山水治夫氏 and 瀬織津姫にスポットをあてて、
彼の人なりを観てみましょう。

以下、彼に関する動画やURLを置いときます。

なにやら調律にかかわる
キーワード出てきます。
「528Hz調律」
「倍音」
また、SF的というべきか
ファンタジーな
「シリウス」
「瀬織津姫」
「天照」
「ニシキトベ」
「縄文時代」
そして、今回のテーマにも出てきた
「ニギハヤヒ」
も出てきます。

■ピアノアルバム 『シリウス528』
CDピアノアルバム
『シリウス528 ~ 神々のイニシエーション ~』

作曲・演奏・調律
山水治夫
より
<動画コメントより>
このアルバムは、プロのピアノ調律師として40年のキャリアを持つアーティストの山水治夫氏が、世界三大ピアノであるスタインウェイを528Hzに調律し、レコーディングしました。
528hz、倍音に関しての氏の見解はこちらの書籍を参照ください。
『528Hzの真実』


『倍音の真実』


端から端までの音域に亘って
すごく、和音がきれいに
心に染み入ってくるようです。
CD発売は2017/12/24です。

■山水治夫氏のブログはコチラです。
http://love.ap.teacup.com/f000401/

これが、わたしが気に入ってるメロディです。
繰り返しと強弱が、心地よい安堵感を感じさせます。。。
■【528Hz調律ピアノによる演奏 】瀬織津姫のアリアー癒しの詠唱・チャント 山水治夫

山水治夫さん瀬織津姫に
焦点を絞って神社1700社をまわってる
ものすごい!!!
■瀬織津姫~縄文時代のニシキトベ~ノンデュアリティの相関】山水治夫さん ナチュスピTV


<動画コメント欄より>
2017年5月17日発売
『あなたにも奇跡が起こる
瀬織津姫神社めぐり 姫旅しませんか?』
山水治夫 著
水の女神を感じに出かけよう! オンリーワンの神社ガイド!
瀬織津姫という水の神様(女神)を祀る神社だけを探し参拝する
– 姫旅 -11年の著者が、選りすぐりをご紹介します。
参拝した神社は実に1700社! その中から20社を厳選、
瀬織津姫の本名で祀る600数十社の神社名を、県別で付録に掲載しました。


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2017年5月17日発売
『ニシキトベの復活 ― 太古の記憶の解放、根源的な生への回帰』
佐藤シューちひろ 著

縄文の熊野の女酋長 – ニシキトベ – を通して、人間本来の姿を取り戻す!
著者は、熊野を訪れ、ニシキトベのことを知らされます。
熊野でニシキトベの彫塑を作っていく過程から、壮大なテーマへと導かれます。
熊野の磐座、レイライン、陰陽、女と男、レムリア、
縄文と征服者カムヤマトイワレビコ、ニギハヤヒ、和合・・・
―封じ込められていった記憶を解放してゆく。

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2017年5月17日発売
『早く死ねたらいいね! ― (私はいない)を願う人への非二元と解放の言葉』(覚醒ブックス)

「解放」のことがとてもわかりやすく描写されているだけでなく、
「目覚め」の体験やそこから解放が起きるまでの期間の苦しみついても、ごく自然な流れの中で盛り込まれています。

「解放はまったく特別なものではない」ということへの認識が、自然に深まっていく内容です。

こちら、オチャラケムードで、、、でも、こんなに明るく変えるなんて凄い
■あわのうた  作詞作曲 山水治夫  歌シイタケ(ヤンズ&てるみ)

■瀬織津姫の神社を11年間で1700社も巡られたのですね!

■【瀬織津姫やニギハヤヒの分霊について】山水治夫さん


<動画のコメントより>
山水治夫さん曰く、瀬織津姫は分霊(わけみたま)として多くの神々の名と役割であらわられているそうです。実際に多くの神社で表向きは有名な日本の神様を祀っていて、よく調べると瀬織津姫を祀っていたということがたくさんあるそうです。

山水治夫 ☆プロフィール☆

水神・祓神の「瀬織津姫」に魅入られ全国1000を超える瀬織津姫を祀った神社を巡る旅が大好評。瀬織津姫様の恩恵か、いつしか氏の旅に「甘い香りが漂う」「悪天候を回避する」など奇跡と思える数々が起こり始めた。神社をめぐる自身の旅を紹介する書籍『瀬織津姫』シリーズをはじめ、その確かな音感、そして瀬織津姫様からインスパイアを享受した(氏は意図的にする作曲は行わない)神々を表現した数々の楽曲をリリース。

「音と霊性の関わりとは?」
「神社、神々が人びとにもたらす真の意味での奇跡とは?」

その美しいメロディを披露するライブ、姫旅の愛称で親しまれている瀬織津姫神社を巡る旅は口コミで年々広がり、世に広まる誤解、誇張された本質を伝える活動は、その飄々とした人柄も相まって愛され続けている。

そして、今回のテーマに掲げたのが
これです。
■ナチュスピTV 新刊 『ニギハヤヒ・シ♭』 山水治夫さんより解説!


『ニギハヤヒ・シ♭-命のオクターブ』

「ニギハヤヒ」とはなにか?___________________________________

こちらで、並木良和氏の講演会で話された内容を
チャンネル「mami」さんが吹き込んだのかな?
■瀬織津姫とニギハヤヒのお話① と浄化ワーク(2019.5.22 by 並木良和氏)


<動画内コメントより>
瀬織津姫(せおりつひめ)&饒速日(ニギハヤヒ)からのメッセージ (前半)
〜無償の「愛」と魂の真実に添って生きるために〜
(2019年5月22日) より

20:51 浄化のワーク✨
29:30 イマジネーションの力を信じること✨そしてもっと簡単に日常に取り入れる✨

クリアリングワークは饒速日のシンボル太陽のエネルギーと
瀬織津姫のシンボル滝のエネルギーの両方を使う強力な
浄化のワークです。
神と自分を隔てているものをクリアーし、自分自身が神であることを思い出せるようになります。
細胞レベルから肉体の活性化、そして波動と大きく関わる自分の体内の水の分子構造まで変えてくれます。
グレートセントラルサンから覚醒のエネルギー、そして
生命力そのもののプラーナもチャージされていきます。

『目醒めへのパスポート 本当のあなたを憶い出す、5つの統合ワーク 』
並木良和著

■瀬織津姫とニギハヤヒのお話②(2019.5.22 by 並木良和氏)


<動画内コメントより>
瀬織津姫(せおりつひめ)&饒速日(ニギハヤヒ)からのメッセージ (後半)
〜無償の「愛」と魂の真実に添って生きるために〜
(2019年5月22日) より

『ありがとう』の五文字にはすごいパワーが秘められています
マントラの様に唱えていくといいと瀬織津姫も伝えてくれています。

【みんな誰もが神様だった】 並木良和著

■【瀬織津姫(せおりつひめ)からのメッセージ】チャネリングby並木良和


<動画内コメントより>
※ 瀬織津姫が『彼』と言っているときは並木先生を指しています。
【公開チャネリング】瀬織津姫(せおりつひめ)&饒速日(ニギハヤヒ)からのメッセージ 〜無償の「愛」と魂の真実に添って生きるために〜(2019年5月22日)
私が忙しいだろうと、書き起こしを提供してくださったSさん!
本当に心からありがとうございます。

『目醒めへのパスポート 本当のあなたを憶い出す、5つの統合ワーク 』
並木良和著

■【饒速日(ニギハヤヒ)からのメッセージ】チャネリングby並木良和


<動画内コメントより>
※ 饒速日が『彼』と言っているときは並木先生を指しています。

【公開チャネリング】瀬織津姫(せおりつひめ)&饒速日(ニギハヤヒ)からのメッセージ 〜無償の「愛」と魂の真実に添って生きるために〜(2019年5月22日)
今回は饒速日のみですが、追って瀬織津姫のメッセージもアップさせて頂く予定です。

私が忙しいだろうと、書き起こしを提供してくださったSさん!
本当に心からありがとうございます。

ドクターズセミナーも今書き起こし中ですので、もう少しお待ち下さい。
___________________________________________________________

■編集後記
この宇宙の
瀬織津姫(せおりつひめ)が奥様で(陰)
饒速日(ニギハヤヒ)が旦那さん(陽)
という感じですかね。
今回のテーマは、自分という人間とは何?
という、観点で、超古代を探っていくと
出てくるのが、「ホツマツタエ」であり
竹内文書にも書いてあるのが
このふたりの「カミ」。

山水治夫(ヤンズ)さんは、
音階的に13柱が有ると云います。
その中でもとりわけ、今回の動画では
「シ♭」が「スサノオ」と結びついており
これが、和音の味を引き立てているような
存在であり、かつ、
「ド」の「ニギハヤヒ」は、「スサノオ」の
子供であるという関係です。

この說明で、今更ながら
バイオリン意外の
楽器によって、平均律で、
演奏されていることを
知りました。
純正律が忘れ去られてしまった
ような感じです。
それは、瀬織津姫とニギハヤヒ・スサノオが
平均律で隠されてしまったかのようでも
あります。

さて、「自分で自分を自分する」さまのブログに
ニギハラヒとスサノオについて書いてあったので
引用させていただきます。
http://tenmei999.blogspot.com/2014/05/
<引用開始>_______________
スサノウの子供で大和の初代王となったニギハヤヒは記紀神話から抹殺されています。しかしそのニギハヤヒはスサノウと同様に多くの別称を持ち各所の神社で祀られています。
幼少は大歳と言われ、「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)が讃え名で、「先代旧事本紀」では天火明命(アメノホアカリ)と同一と伝わっています。
原田常治は、大神神社の主祭神である大物主、上賀茂神社の主祭神である加茂別雷大神、熊野本宮大社の祭神である事解之男尊、大和神社の主神である日本大国魂大神、石上神宮の祭神である布留御魂、大歳神社の主祭神である大歳神(大歳尊)と同一だといいます。

 「古代史復元」の第25節 スサノオ・ニギハヤヒの抹殺で以下のように記されています。
http://www.geocities.jp/mb1527/N3-26massatu.htm

「初期の大和朝廷はスサノオ・ニギハヤヒの神威を利用して政治を行っていた。気候が寒冷化し,生活が苦しい時期は,苦しいときの神頼みで信仰が強かった。この時代の大和朝廷は,神の力を使って巨大な古墳を築造し,その神の力を利用することで政権の安定に努めた。六世紀になると長かった寒冷期は終わり,温暖な時代がやってきた。温暖期になると作物もよくとれ生活が安定してくる。人心も収まってくるので,神の力を使った政治をする必要もなくなり,人々も神をあまり意識しなくなってくる。そのため,権威を誇示するための巨大な古墳は必要なくなり,また,古墳を作るからといって多くの人々を神の力でかき集めるのも難しくなってきて,古墳は次第に小さくなっていった。そして,それまで特別な階層の人物のみ作っていた古墳であるが,生活が豊かになってきたために,あまり力を持っていなかった多くの豪族が古墳を作るようになり,古墳の築造数は増えていくことになった。古墳時代後期の始まりである。
古墳時代後期になってから生活が楽になってくると,神威は低下してきて,人々はスサノオ・ニギハヤヒをそれほど意識しなくなってきた。そして,そのシンボルである三角縁神獣鏡や前方後円墳も姿を消していった。このようなときに中国から仏教が入ってきたのである。あまり意識されなくなっていた日本古来の神々に変わって登場した仏教は,当時の朝廷人にとって魅力的なものと写った。
スサノオ・ニギハヤヒの抹殺
スサノオ・ニギハヤヒ祭祀はニギハヤヒの長男であるウマシマジの直系の物部氏が司っていた。ところが仏像崇拝をめぐって物部氏と蘇我氏との争いが起き,物部氏が滅ぶに及び,朝廷の有力者は神武天皇と共に日向からやってきた一族(蘇我氏・藤原氏)が占めることになった。
日向一族はスサノオが南九州進攻したときに煮え湯を飲まされており,さらに,日向一族の祖である日向女王は,大和では関係がない存在であるから,日向女王を畿内に祭ることができなかった。肩身の狭かった日向一族は物部氏が滅んだのを機会として出雲勢力の抹殺をし,日向一族の歴史を輝くものにしようと謀った。
まず,スサノオ,ニギハヤヒの国家統一事業は,日向族の祖であるイザナギ・イザナミの業績に置き換え,出雲一族との関連で無視できないところは,出雲族でも日向に関係の深かったオオクニヌシの業績に置き換えた。次に,ニギハヤヒの妻である卑弥呼を抹殺し,卑弥呼及びニギハヤヒが持っていた天照大神の称号を,日向女王に与え,天上に上げた。スサノオはその業績を奪われ,日向女王の弟で高天原の乱暴者にされた。ニギハヤヒは大和の創始者であることを抹殺することができなかったので,ニニギの兄にされ,神武天皇以前に大和に天降ったことにした。スサノオ・ニギハヤヒの業績はすべて抹殺し,全国の彼を祭っている神社から彼らの名を消すよう指示した。
この歴史改竄事業を人々に知らしめるため,出雲にオオクニヌシを祭った巨大な出雲大社を作ることになった。信仰の対象を変えさせるわけであるから,出雲大社は巨大である必要があった。出雲大社が古代において奈良の大仏殿よりも巨大だったのはこういった理由によるものであった。そして,日本国を統一したのはスサノオではなく,日向一族であることを神話化して残し,それを,古事記・日本書紀としてまとめ,全国の神社からスサノオ・ニギハヤヒの伝承を抹殺させた。このように地方からこの二柱の信仰を弱めた上で,国分寺を全国に建立し,仏教を広めることができた。人々は出雲大社の巨大さに圧倒されてオオクニヌシ信仰に走り,巨大な国分寺に圧倒されて仏教信仰に走ったものと考える。
このように抹殺された伝承であるが,当然のごとく人々の抵抗は激しく,スサノオ・ニギハヤヒの名を抹殺せず,訳の分からない神の名として残した。出雲大社本殿の真後ろにスサノオの祠があり、大国主命は本殿内で西向きに祭られているそうである。人々が北向きに本殿に拝礼したとき、それは、本殿を素通りして背後のスサノオに拝礼したことになるのである。オオクニヌシの巨大な出雲大社の建立を命じられたときも,出雲大社の本殿の後ろにスサノオの社を造り,朝廷にわからないようにスサノオ祭祀ができるようにしたのである。また天皇自身は正式な歴史の元で皇室行事を行っており,伊勢神宮に参拝をせず,大和の神社に参拝を続けた。
このような人々の抵抗があったために,抹殺漏れが各地に存在し,全国の神社をつぶさに調べることにより,この古代史は復元できたのである。」

 布施泰和氏による「正統武内文書」による超訳日本神話による紐解きは異色です。「誰も知らない世界の御親国日本」から紹介します。

「宿禰さんが口承伝授された正統竹内文書も、神々が地球に降臨したところから始まります。神々は北極星、昴、オリオンの三ツ星からやってきたことになっていますが、宿禰さんは天孫降臨=宇宙人飛来説はとっていません。生命の元となる魂がそうした宇宙からやってきたと解釈しているそうです。
途中の歴史は端折って、何度かの天変地異を経て現代の地球文明が始まった時代に進みます。今から1万2000年ほど前、世界各地で大洪水が起きた後、最初の文明を築いたのは日本であったと宿禰さんは言います。「縄文文化」と呼ばれていますが、確かに実質的には世界最古の文明であった可能性が強いですね。
やがて最初の文明を築いた人たちは世界中に散って行き、文明を広めて行きます。
日本から大陸に渡った人たちは、理想の国を大陸に求めたのだそうです。大陸に渡った人たちの中には、のちに出雲族となるグループと、のちに大和族となるグループがいました。彼らは別々のルートでメソポタミアにたどり着き、合流。太陽を信仰するスメル族、すなわちシュメール人と呼ばれ、そこに古代文明を築きます。

 シュメール人の最大都市はスサと呼ばれ、スサの王をスサノオと呼んだそうです。スサノオは政治・軍事をつかさどる王として君臨し、のちにこの政治・軍事グループは出雲族となります。一方、それとは別に祭司をつかさどる者たちをスメラミコトと呼んだそうです。スメラミコトの祭司グループはのちに大和族となります。
そのあと、突然シュメール人たちは姿を消すのですが、どうやら一部は中東まで行きユダヤとなったグループもいたみたいです。
なぜシュメール人たちは、メソポタミアの地を去ったのか。それは自然と共生するという彼らの古神道的な理念や信仰が、厳しい砂漠の風土に馴染まなかったのだと宿禰さんは言います。砂漠の地方では自然は人間に敵対するものでしかなく、理想とは程遠い地であった――。失望したシュメール人たちは、再び二手に分かれて日本に戻ることにしたのだそうです。」
「あくまでも私の推測ですが、スメル族の2グループが日本へ戻る道のりは、紆余曲折の連続だったのではないかと思います。なぜなら、シュメール人が突然消えたのは、紀元前2000年ごろとされています。そして彼らがようやく日本にたどり着いたのは、どうやら紀元前4、5世紀ごろなんですよね。その間、1500~1600年間もシュメール人(スメル族)はあちこちを放浪していたことになります。まあ、中にはもっと早くに日本に戻ってきた人たちもいたのかもしれませんが、それについてはよくわかりません。
第73世武内宿禰さんの話に戻ります。スサノオのグループ(後の出雲族)は陸路日本へ向かい、北九州に上陸します。一方、スメラミコトたち(後の大和族)は、海路日本に向かい、九州の南にある高千穂に上陸(天下り=海下り)しました。そしてそれぞれのグループは、当時日本にいた「原日本人」たちをどんどん征服していくんですね。
 
やがて紀元前4世紀ごろ、この二つのスメル族のグループの間で戦いが勃発。一進一退の攻防が続きます。そのころの出雲族は日本海側を支配、大和族は瀬戸内海を海路東進し、近畿地方に入ります。一時は出雲族スサノオと大和族アマテラスの間で政略的な結婚をするなどして和睦がありますが、大国主の息子の事代主が王の時代に再び戦争となり、大和族が出雲族を制圧します。
その結果、大和族の王であった神武(サノ彦)が事代主の娘を娶り、大和朝廷が確立します。紀元50年のころだと言います。このとき大和族の武内宿禰は、出雲族の物部から八雲叢雲十種神宝の行法を奪ったので、いまでも正統竹内家にこの行法が伝わっているそうです。
敗れた出雲族は関東・東北地方に逃げ、のちに蝦夷(エゾ、エミシ)となります。最初から日本にいた人たち(縄文人、原日本人)は、サンカとなりました。」
興味のある方はお読みください。以下のブログ「天の王朝」でも読めます。
http://plaza.rakuten.co.jp/yfuse/14000/

 またスサノウはイザヤの子、マヘル・シャラル・ハシュバスでイスラエルの救世主ともいわれます。その名の意味は「急いで略奪し、速やかに捕獲する者」だと言います。イスラエルとの繋がりからスサノウの正体を語り、日本人のルーツ、建国の神として記されているものもあります。興味のある方は読んでみてください。
「日本とユダヤのハーモニー」http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=67

 今回の出雲巡りの旅をとおして、先人の出雲、古代日本への歴史見解を学ばせて頂きました。その一端を紹介させて頂きましたが私には確たるものと明確に出来ません。しかし我々は歴史、史実の中で教育され、神話化されている世界は、ある意味で時の為政者の思惑、改竄の結果であり、果たして真実はどこにあるのか未だ解き明かされていない実態を改めて知る事が出来ました。継続されている神事の意味も含めて起源はどこなのか、日本人の原点は何なのか。更なる探訪が続きそうです。今色々な事がアラハバカレていますので隠された世界がますます明らかになる事と思います。
我々には弥生時代以前の縄文世界の文化、精神性があり、その上に培われてきた大和、やまと、タイワ、そして現代日本が存在しています。自の感応を磨き、因果を紐解き、真理を会得でき、これからの想造に活かして行け、宇宙人類自然に必要とされるような営みがこれから出来る事を願っています。

<中略>

原田常治氏はスサノウは122年頃に島根県平田市平田町(現在は合併して出雲市)で生まれたと言います。原田氏の歴史の読みを関裕二氏が以下にまとめています。

「スサノオは、西暦122年ごろ、出雲国沼田郷で生まれた。スサノオが20歳ごろ、出雲第一の豪族・ヤマタノオロチを討ち倒し、35歳ごろには、出雲で頭角を現す。やがて出雲を統一したスサノオは、西暦173年ごろには九州遠征を決行し、これを平定、アマテラス (『魏志倭人伝』のヒミコ)と出会い、両者はここで同盟関係となる。
いっぽう、スサノオの第五子・ニギハヤヒは、西暦150~151年ごろの生まれで、20歳をすぎたころスサノオとともに九州に遠征し、183年ごろ、スサノオの命で大和に向かった。ニギハヤヒは、それまで大和を支配していたナガスネヒコをたたかわずして臣下におさめ、その妹の三炊屋媛を娶る。さらにニギハヤヒは休む間もなく、瀬戸内沿岸を次々に攻略、出雲王朝の基礎を築いたのである。
ところが、九州から大和に至る一大勢力となった出雲王朝も、スサノオの死後、あっけなく衰退していく。相続問題のこじれを、ヒミコの九州王 朝(天皇家)につけ込まれたのである。この結果、九州王朝は出雲からの独立に成功する。ちなみにこの事件が、“出雲の国譲り神話”もとになったという。
さて、王朝の中心を大和に遷した出雲王朝では、やがてニギハヤヒも亡くなり、末子が幼少であったため(この当時は末子相続であったと原田氏は説く)長子のウマシマチが代理人として政務を司っていた。
西暦230年ごろ、九州王朝は大和の出雲王朝に、あるひとつの提案をもち込んだ。両国を合併させようという大同団結を提唱したのである。幸い出雲王朝の相続人は、「伊須気依姫」という女子、かたや九州王朝の相続人は、ヒミコの孫で、末子の「伊波礼彦」(のちの神武天皇)、どちらも正統な相続人であった。
ここに、両朝は合併に合意した。これが、『日本書紀』に記された神武東遷の真相であったと原田氏はいう。そして新王朝誕生と同時に、両朝は重大な取り決めを交わした。
それは、代々の天皇は九州王朝の男子とし、その正妃は出雲王朝の女子から選ぶこと、そしてその正妃の親族が天皇を補佐し、政治の実験を握る、というものであった。
このように、出雲・九州両朝の合併によって成立したのが大和朝廷であり、ニギハヤヒの末裔・物部氏が衰弱した七世紀、出雲王朝の実像は天皇家の手によって抹殺されてしまったと、原田氏は説くのである。」
 
スサノオは、大和朝廷が成立する以前に、出雲王朝を成立させてい日本建国の始祖であり、讃え名を「神祖熊野大神奇御食野尊」(かむろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと)と言いいます。熊野の大神です。
また、小椋一葉著「消された覇王」ではその別名が
「午頭天王」(ごずてんのう)、
「大山祗神」(おおやまつみのかみ)、
「高龍(注)神」(たかおのかみ)、
「雷神」(いかずちのかみ)、
「大海津見神」(おおわたつみのかみ)、
「八大竜王」(はちだいりゅうおう)、
「八千矛神」(やちほこのかみ)、
「軻遇突智神」(かぐつちのかみ)
など、「山・海・火・水・雷」という、おおよそ、自然に関係する神は、すべてスサノオの別名で、まさに日本建国の始祖に相応しいばらしい神だ。と記述しています。

 原田常治氏は「古代日本正史」の中でスサノオは神話でいわれているようなアマテラスの弟のならずものなどではなく「理想の男性」と表現して以下のように述べています。
「この素佐之男という人は、調べれば調べるほど、素晴らしい魅力のある男性であることが分かってきた。まず、非常に勇猛で強かった。一生涯戦って敗れたという記録がない。非常に頭が良くて出雲、隠岐を百八十六カ村に分けてそれぞれに神(村長)をおき、自分が住んでいた須賀から離れている西出雲には支庁をおいて時々そちらに出張していた。そのあとを祀ったのが須佐神社。隠岐の島は水若酢尊(みずわかすのみこと) に支配させていた。隠岐の島は外交ルートの重要なところだったから有能な人だったらしい。水若酢神社として祀られている。スサノオがどこでも仁慈の名君と慕われたことは、出雲地方ばかりでなく、九州の占領地のほとんど全域、特に筑前、筑後、豊前、豊後地方で1800年たった今でも、八阪神社、祇園社、牛頭宮などの名で、或いは熊野神社の名でスサノオを氏神様として祀っている町村が多いことからもわかる。九州占領政治の期間は僅かであったのに、住民にこれだけ慕われているのを見ても、よほど優れた名君であったのだろう。また、家庭にあっては、8人の子が全部稲田姫の産んだ子で、皆優秀でその子孫がたいへん栄えたというので、弥栄神社という名で祀られ、それが8という数字に結びついていつの間にか夫婦と8人の子を祀った社を八阪神社という名になって現在全国到る所に祀られてもいる」

 そのスサノウを祀る神社は以下です。
八坂神社(八阪神社)、弥栄神社、祇園神社、素盞嗚神社(素戔嗚神社)、感神社、彌劔神社(八剣神社)、広峯神社(広峰神社)須佐神社、八雲神社、須賀神社、津島神社、天王神社、氷川神社、熊野神社

 「私説日本統一国家の誕生」で片桐新自氏は「スサノオが日本の最初の大王」として以下のように述べています。http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~katagiri/JPstate.htm

「神話上はアマテラスの弟とされ、あまりの乱暴さ故に高天原を追放され、出雲に来たとされるスサノオだが、全国にある彼を祀る神社の多さなどを考えると、彼こそ古代日本に最初に大きな勢力を築きあげた大王であったと考えるのが妥当である。スサノオという名前も長姉のアマテラス(天照)や次姉のツクヨミ(月読)が、太陽神と月神のわかりやすい表示名であるのに対し、まったく違う名のつけ方であり、まったく別種の神と考えざるをえない。普通に考えれば、「荒(すさ)の王」と字を当てたくなる。
出雲は朝鮮半島から船出して、海流に乗ってたどり着きやすい地域であるので、スサノオは朝鮮半島から渡ってきた勢力のリーダーあるいはその子孫と考えられる。その後の任那(伽耶国)への大和朝廷の固執ぶりを考えると、伽耶から渡ってきた勢力である可能性が高い。出雲を出発点として、越前、伯耆、因幡、但馬、丹波(丹後を含む)、若狭、近江、山城、瀬戸内の吉備、播磨、摂津、河内、大和、紀伊、尾張、美濃などにまで勢力を拡大したと考えられる。
スサノオの逸話でもっとも有名なヤマタノオロチは、「越」(越前?朝鮮半島からたどりつきやすい地域のひとつ)から毎年やってきて娘たちを奪っていったという話であるから、これは当時出雲が越前に対して劣位の立場にあったのを、スサノオの力で逆転したと読むことができる。
紀伊の熊野大社も源流は出雲の熊野大社と言われているし、京都の八坂神社を筆頭に各地に存在する祇園神社はすべてスサノオを祀っている神社である。(備後のえのくまで蘇民将来と出会った逸話があり、スサノオに礼を尽くした蘇民将来一家を助けるために、茅の輪を贈り疫病から逃れさせたことから、全国各地の祇園神社では夏に「茅の輪くぐり」という行事を行うようになっている。)
出雲勢力との関係が深いと考えられる物部の地名が北部九州周辺に多くあることから、出雲勢力が北部九州に進出した後、畿内に移動し、一大勢力になったという見方を取る論者もいるが、元伊勢神社の位置などから考えると、出雲勢力は出雲、伯耆、因幡、但馬、丹後、丹波、摂津、河内、大和というルートと、出雲、吉備、播磨、摂津、河内、大和というルート(ともに陸上ルート)のいずれかあるいは両方を辿って、畿内に入ったのではないだろうか。(この出雲勢力は大和には入らず、河内に拠点を据えていた可能性もある。)
筑紫は朝鮮半島に近く高度な文化の取り入れ口になっていたため、進出あるいは協力関係構築の必要性があっただろうが、出雲神話の逸話には、海上ルートを利用するようなエピソードはなく、スサノオを中心とする出雲勢力は、西は出雲・備後から、東は尾張・美濃・越前あたりまでを影響力下に置いていたのではないかと推測する。

 先にも述べた大神神社は、日本一古いと言われているが、ここに祀られているのが出雲系の神である大物主大神である。箸墓古墳や崇神天皇陵などがある三輪地域にあり、初期大和朝廷発祥の地でもあるが、そこに出雲系の神が最初の神として祀られているのは興味深い。
大和の地は、瀬戸内海を東に東にと進んでくるとたどりつく地であるため、九州からは幾度も東遷してきた勢力があったと考えられる。『古事記』では、イワレビコ(神武?崇神?)が日向から東遷してきたことになっているわけだが、そこにはすでにニギハヤヒという王がおり、その王に仕えるナガスネヒコが激しく抵抗したため東からは入れずに、南の熊野から北へ上がる形で入っていく。しかし、ナガスネヒコは戦いで打ち破られたのではなく、ニギハヤヒとイワレビコが同じ神から遣わされたものだと知り、困惑しているうちに、ニギハヤヒによって殺害され、ニギハヤヒはイワレビコに国を譲るという形で戦いは終息を迎える。同じ神から遣わされたものとわざわざ記されているのは、出雲勢力も日向勢力ももともとは朝鮮半島南部にあった伽耶国(任那)から渡ってきた同族であることが暗に語られているのではないかと考えられる。(ちなみに、4世紀後半にやってきて応神朝を作り上げる勢力は、百済系勢力であり出自をやや異にすると推測している。)
ニギハヤヒを祖神とする物部氏の由来を示した『先代旧事本紀』によれば、ニギハヤヒは娘をイワレビコに嫁がせている。『古事記』では、神武東征の前にオオクニヌシ(スサノオの子孫で出雲勢力のシンボル的存在)の国譲りの話があり、これとの類似性が気になるところである。ニギハヤヒをオオクニヌシ(大国主)という名で登場させ、日向勢力が大和に定着する以前の国の主だったことを示しているという解釈は十分可能な気がする。
神武と崇神は和名が同じで同一人物ではないかという説も根強いし、そうでなくとも大和入りの経緯はどちらかのものであろう。いずれにしろ、九州から入ってきた勢力がすでに大和に勢力を持っていたニギハヤヒとナガスネヒコの勢力と戦わざるをえなかったことは確かである。私はかつて闕史8代(2代~9代)を架空の存在と見る立場に賛同していたが、崇神が神武の事跡(神武東征)をなした王であると考えるなら、それ以前に強大な勢力が大和にあったことは確かなので、その勢力の存在を神武以下の9代として描いていると考えることもできるだろう。そして、この勢力が出雲系である可能性は大きいのである。
ニギハヤヒの正体は明確ではないのだが、『日本書紀』や古代神社の伝承などを総合的に考えると、出雲系の王であったことはほぼ間違いないだろう。このニギハヤヒの子孫が物部氏であるということは、実は物部氏自身が最初に畿内強力な勢力を確立した王であったと考えることもできるのである。」
<引用終り>_______________

因みにウィキペディアいよれば、
原田 常治(はらだ つねじ、1903年4月26日 – 1977年8月23日)は、
昭和期の出版事業家。株式会社同志社(のちの婦人生活社、
2003年に倒産)を創立する。
同志社を創立させる前は、
講談社『講談倶楽部』編集長をつとめた。
1976年に書かれた『古代日本正史』の
著作者として有名。千葉県生まれ。
日本大学卒業。1973年4月、勲四等瑞宝章を受章。

ということで、自分としては、原田 常治説を
今後は学んでみたいと思います。

とりあえず、今回は、知識不足なので
持論までは行かず、
瀬織津姫やニギハヤヒという存在を知り得たし
それで、その宇宙観を音楽を通して
体現した山水治夫氏を知ることもできた。
もちろん、以前から並木良和さんにも
通じているし、2018年から始まっている
アセンションの胎動が、今年から来年の12月21日まで
わたしとしても、
オタオタしてるわけには行かない
意識の覚醒の先にあるその状態になるのだという
ベクトルエネルギーを
加速させて生きたいと思うのであります。

では、また。

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