障害者に国会議員が務まるか?・・・せやろがいおじさんと乙武さんとコラボ一言やで!

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こんにちは、\ソウジャ です。/

いやー、今日8/1 は、あの
れいわ新選組の障碍者のお二人の参院国会の登院で
話が盛り上がっていました。

様々な動画がUPされていましたよ、

さて、今回は、その中でも、すご~い
インパクトを感じた作品がコレ!
最初から、御覧ください・・・
■障害者に国会議員が務まるか?乙武さんとコラボ一言

■編集後記
せやろがいおじさんと云えば
動画で、一人で出演していたんが、
今回のは、なんと、あの障碍者でもある
「乙武さん」が出演されて、協演・響宴・共演?
ま、どっちゃでもええけど!
すごーい、インパクトあると思います。

ただ、速くて字面を追っかけんのが
大変でした。

さて、内容の焦点は、やっぱり
「重度の身体障害者に
国会議員が務まるのか?」とか
「障害者の政治利用だ」といった声が
挙がっていました。

重度の身体障害者自身が国会議員になるって
意味と意義のそのへんが、理解していないと
上記のような、誤った見解に
なるんですね。

わたしなりに思うのですが、
「重度の身体障害者自身が
国会議員になる」意味とは

これ迄、健常者の議員だけで、
障碍者福祉に
ついて国会で論議されて、
つくられた法案や施策と違って
障碍者自身が自ら
立法府でそれに携わることで、
実際的で、
健常者が視えなかった
部分についても
より福祉関係の法案が
改善されたり
創案されたりして
多くの障碍者にとって、
福祉の凄い躍進力となる
ということです。
現に、お二人が登院することで、
「実費で自腹で介護を
雇ってやるべきだ!」という
考えは、よほど、
考えて、しゃべってるのか?
と思います。
というのは、
かれら障碍者議員二人は、
障碍者全体の
代表でもあり、
障碍者全員に対して、そのように
「障碍者は自宅から出て、
何かをする時は、自腹が当然」
と決めつけてしまうことに
繋がりませんか?
ということです。
なので、お二人が
自腹を切る気はありませんし、
このことで、
スロープやパソコン設置や
パネルのスイッチの工事などの
ハード面での
環境の整備が進むとともに
ソフト面で、
重度訪問介護の適用外に
なってしまう事を承知の上で、
重度訪問介護の制度改正の
要望を彼らは
提出しています。
そして多くの要望を
既に通しています。
議員に当選してから、
反則的な手段で
あるかの様に見えますが、
今まで沢山の時間をかけて
国会の外から訴えてきても
届かなかった声が、
結局、
彼らが議員になったことで
届いたという事実。
これは介護保険制度全般に
波及する大きな変化であり、
「どこか困ってる所を
バリアフリー化した
方がお金の無駄にならない」
とか
「登院するのは
自腹を切るべきだ」
とか
そういう事とは全く次元が違う話であり、
経済的な価値に換算できない程
大きな意味を持っていると
思われます。

れいわ新選組では、初めから
これが狙いだったと思います。
少数派とはいえ
困っている人達の声が
国会に届かない現状を危惧し、
れいわ新選組に投票した
人達は沢山いると思います。
しかもこの問題は
障碍者だけの問題では無く、
様々なマイノリティ的問題を抱えた
当事者にも及ぶ価値のある
第一歩であったと考えます。

次に
「重度の身体障害者自身が
国会議員になる」意義とは、
上記のように
障碍者の二人の議員によって
為されている価値のことですが、、
それは、山本太郎氏が云ってます。
時間・お金・労力での
判断基準だけだと、
多くの障碍者は、
健常者と比較すると
生産性は劣るという
考えになってしまいます。
そして生産性の解釈が
進んでいくといずれ
「命の選別」が行われることに
繋がってしまうと
山本氏は危惧しています。
「命の選別」とは、
「生産性で測られた命が、
やがて医療費などを入り口として
切り捨てられていってしまう」
という
“生産性の無い者、
或いは生産性に乏しい者に対しての
医療保障カット”
です。
つまり、役に立たない者には
生きている価値はないと。
さらにこれを言い換えると
「時間効率やお金を稼ぐ
効率の悪い者は
必要のない人間」である、
という事を暗に示しており、
これが現在の生産性の
価値観となっています。
したがって、
人間の尊厳を守るため
木村、ふなご両氏が
国会議員になり
「人の価値とは何なのか」を
もう一度国民に問いかけたい
という狙いがあるのです。

このことに対して、せやろがいおじさんと
乙武洋匡さんが沖縄の美しい海に向かって叫びました。

では、また。


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