人体は何のための実か?・・・得と徳

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こんにちは、\ソウジャ です。/

おはようございます。

今回は深淵なタイトルです。

朝から、奇問・珍問のような
疑問を挙げましたが、
あなたは、考えたことは
ありませんか?

・生まれてきたんだから
俺が、とやかく云うことではない

とか

・そんなコト考えたって
1円にもなんねぇじゃん

とか

・そんな事を考える暇があんなら
テメエの人生の進路でも
考えろ!

とか

・眼の前の課題や問題を解決しな!

とか

中には、
・いやー、そんなコト、今まで
考えたこと、無かった。

とか

そのように思った方が、殆ど
では、ないでしょうか。

では、そのように
思った方に、お訊きします。

アナタが生活を
する上で、人体が無かったら
あなたは生活できますか?

なんか、おかしな質問に
なりましたけど、

要するに
アナタが人体として生まれたことで
アナタが意識され
アナタの生活が始まった
ということは
間違いないですよね。。。。

つまり、カラダ有りき
人体有りき
これが、人間のベースですね。

あまりにも
当たり前過ぎて
普段は、思いも依らない

ところが
交通事故や何らかの事故で
打撲や骨折
あるいは
胃潰瘍や癌、血管などの
病気になった
時に、はじめて、カラダと健康を
考えるようになる。

カラダの有り難みを知る事になる。

多くの人達は
まさに「身勝手」なのです。

なぜ、そうなんでしょう。

ちなみに
人間世界を除く自然界へ
目を転ずると
何が起きているか、ご存知ですか?

人間世界と全く逆に
なっていませんか。

つまり、分子・原子は
互いに奉仕しあって、
影響を与えあって
成り立っているのが
自然界のように
見える
ということです。

たとえば、「りんご」

簡単に云えば
リンゴは、自分が熟して
腐る手前で、芳香を放ち
たとえば鳥に
食べてもらうことで、
関係性が成就するのです。
それで、「縁」ができます。
これが、長い時間の中で
その結びつきが
強くなると「絆」となります。

そして、
リンゴを食べた鳥が排泄
したフンにリンゴのタネが
混じっており
また、地上のどこかに
タネが撒かれる
ことになるという寸法です。

りんごとの
恒常的関係性が観えてきました

それは、
「りんご」⇒「鳥」⇒「土地」⇒「種」⇒「りんご」・・・・恒常的関係
そして、リンゴの実は
誰のためにあるのか?

今の殆どの
地上の人だけが
「自分中心に考えてしまうのですが、
つまり、、、
自分に、何かをサービスを
してくれる?」
と考えてる、

「鳥」さんのために、と答えたのは
間違いですよね。

リンゴの実は、
「リンゴを食べてくれる相手」
のために存在しています。

よーく考えると
自然界は上手く出来ていますし
面白いです。
学びが存在しています。

つまり、リンゴの実は、
「食べられる」というより

「食べてもらう」という
奉仕と解することもできます。

奉仕とは、見返りを
求めないことです。
「食べられたりんごの実は」
すぐに見返りを
要求していません。
当然ですが(笑)

そして、リンゴの種も鳥は
啄んでしまう。

これは、一種のペテンだ!
詐欺だ、と思うかもしれませんが、
そのような仕掛けと
なっています。

つまり
奉仕の中に別な奉仕のカラクリが
ちゃんと組み込まれているのを
いろんな場面で確認できると
思います。

この三次元の世界では
一方的な奉仕だけでは、
成り立たないのです。

相互奉仕です。

この構造を模倣したかどうか
分かりませんが、
人間が造ったマネーでは、

最初は、救世済民だったのが、

そのサービスを得るために
「マネー」が
必要だ。
と考える癖が
ついてしまっていたんですよね。

奉仕である、サービスが先か
利得である、マネーが先か
で、考えが180度
違ってきますから、

恐ろしいことです。

現代は、
利得を優先に考えて生きてますから、

これが、「消費行動」に
なって、それが、戦争にまで
つながっていたんですね。

じゃあ、ほとんどの庶民は
戦争で殺されるために
生まれてきた?

そのように人体の「実」は設計されていた?

違いますよね。


人体の実?、

実=「みのり」と考えます。。

肉体のみのりとは、

肉体を伴った、
「見せかけではない」
「実在を伴った徳」
では、ないかと考えます。

実徳(みのり)です。

幽体とか霊体とか目に見えない
カラダではなく
ちゃんと肉体を持った実在が
徳を表すということでしょう。

そう云えば、「徳」は
「得」を捨て去ることで
積まれるものというようです。

答えが、わかったような気がします。

徳が備わるのは、奉仕(犠牲)によって
しか成りません。

知花先生が、仰っています。

「皆さん方は全部自分が得(利得)を
していますが、徳を積むためには
奉仕が必要なのです。
皆さん、
奉仕をしないで徳を積んだ人は
一人もいないのです。
奉仕をしない人は他人から嫌われます。」

■ 犠牲とは何か

人としてのみのりは、「徳」であるように思います。

そして、それは、実徳ある人から
放たれた実りある暖かさは
それを受ける人のためにあるのでしょう。

では、また。


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