2019.6.13 「私の時間の使い方」大西つねきの裏動画コラム vol.6

こんにちは、\ソウジャ です。/

「私の時間の使い方」について
大西つねき氏の裏動画コラム vol.6を
紹介させていただきます。
(アイロニーな表現をさせていただきました)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今週は私の時間の使い方について話しました。
それが良いかどうかは皆さんの判断ですが、
私はこうしてますという一つの
サンプルとしてお話ししました。
■2019.6.13 「私の時間の使い方」大西つねきの裏動画コラム vol.6

■編集後記
「自由な意志」が
どのような存在なのか?
どのような認識なのか?
どのような意味なのか?
によって、大きく違っくると思います。

他人から自由な時間を奪ってしまう
「仕掛け」が問題なんですよね

日本ばかりか、世界的に
その「自由」を奪ってるのが
まさに生活を支えるモノ

マネーシステム
だと思います。

身の回りのほとんどが
「カネ稼ぎ」に通じることばかりで
時間が自分や他人から奪われています。

生活をするために
⇒カネ稼ぐ⇒仕事をする⇒会社勤め、あるいは自営
⇒カネ稼ぐ⇒仕事をする⇒マネーでマネーを得る⇒投資
⇒カネ稼ぐ⇒仕事をする⇒マネーでマネーを得る⇒賭博

すべて、生きていくうえで必要とされ
「カネ稼ぎ」のために
時間が奪われています。

考えてみますと、
主に昭和以前のほとんどの家庭では
男親が「家長」として、
主にお金を得るために働きました。
一方の
奥様は、家を守る主婦として
家事・育児など一切を仕切っていました。

この分担業が、生業として
当たり前にありました。
ところが、時間が経過するに伴い

家長の威厳は無くなり
今や女性も「対等」になり
男と女の分業制はもはや意味が
無くなっている状態です。

このようになったことから
何が変化したかというと、
良し悪しは、別にして、

1.奥さんは育児と家庭内での
「躾」をしなくなったし、
その意味するものが
薄れてしまった。
育児時間をお金を
得るために働き
託児所などに預けて、
お金で解決しようとした。

2.家長が居なくなった
男親が外で稼いだ成果物として、
現金が入った給料袋を
家庭に持ち帰ることで、
家長としての威厳が保たれたが、
高度成長が終焉すると同時に、
オヤジの給与では
生活できなくなったことで、
夫婦が
共稼ぎする時代に入った。
そのことで、
家長の存在意義が無くなった。

3.上記の背景から、
昭和のころは
参政権と
職業選択の自由の保障を
求めた女性の議員さんたちが
誕生しました。
これは、
「男女は完璧に平等な権利を持つ」
との主張でした。
初期の「フェミニズム」
が興った頃です。
それはやがて「女性解放論」の
運動となっていきます。

時代の経済背景として
昭和の高度成長時期からの
転落があります。
・バブル崩壊
・サブプライム問題
・リーマンブラザーズ破綻
などの世界金融危機があり、
現在も不安は続いており、
日本経済は約20年間も不況観が
漂っています。

ちなみに
近年2018年1月の広辞苑では、
「フェミニズム」と「フェミニスト」の
説明文が一部改訂されて、
以前は、
「男性支配的な文明と社会を批判し
組み替えようとする思想・運動」
という
フェミニズムを意味する内容が
変わりました。
それは
「性差別からの解放と
両性の平等とを目指す思想・運動」
に変わったんです。
そして、さらに、
フェミニストの中には、
なんと
「女性尊重を説く男性」という
表現も追記されました。
なんか、もう男女は、
全く同一視して
性別は関係ないから、
・・・すべて解放だ!
みたいに、
世界的にも混乱の一途をたどってる
感じがします。

わたしが云いたいのは
もちろん、時代錯誤の姑のように
「あなたは息子の嫁なのだから、
仕事を辞めて
夫に尽くすのが筋でしょ・・」
みたいな
古い生業価値の押し付けは、
私も反対ですけど。

要は、本質を掴んで上で、
時代時代に合った、
バランス感覚が
必要だと思います。
それが、
「社会的文化的に作られる
性別、性差」
を意味する「ジェンダー」
という名称が
ありますけど、、これが、
「その生業は
男でないとダメ」みたいな
差別です。
その差別というか
区別からの解放です。
つまり
「ジェンダーフリー」です。

しかし「ジェンダー」になって
しまった背景を
思い出してほしいのです。
現在、正社員の就職口さえあれば、
ほとんどの女性は
就職して働きたいでしょう。

なぜでしょう?
・もっとお金を得たいから
・好きな分野で活躍したいから
・偉くなりたいから

・etc..
男性と同じですよね。
つまり、それまで主流とされていた
男性社会に女性も同等である
ということで、
働く機会を同等にすること。

その上で女性は、何望んでいるか?
・美容と健康
・美貌とスタイル
・知性と心の向上
などでは、ありませんか?
つまり、男性にはない、「美しさ」の
表現が女性にしかできないものが
あるってことです。

じゃあ、その美しさを謳歌する
時間が、女性にとって、人生のうち
どれくらいあるのか?
という尺度で
考えたことがあるか
ということです。
世の中、価値観は様々ですが、
もしかして、仕事を通じて
女性としての謳歌を感じている方も
いらっしゃいます。
それも「美しさ」の中に含まれると
考えます。

そうなると、家庭という一つの
仕合わせの形を捉えた時に
女性としての美しさの謳歌時間を
どのようにデザインしますか?
ということに繋がります。

そうなってきますと、
生活もさることながら
美しさの謳歌時間が取れる
くらいの収入が旦那さまが
稼いでくれるのであれば、
女性にとって、
美しさの謳歌時間が奪われることは
無いのです。

なので、あれば、
外に出て仕事をする時の
差別「ジェンダー」を意識したり
差別されたりということは
全く無いことに
お気づきですか?

しかし、現状としては、
外に出て仕事をして、収入を得て
その中から、
エステに行ったり、ヨガ教室に通ったりと
して、「美しさの謳歌時間」を
薄く細切れで、我慢してる状況ですよね。

これって、何が根本問題だと
思いますか?

答えは、簡単。
「お金の発行のしくみ」
をつくった奴ら
(私は、ディープステートと
呼んでいます)
のせいで
みんな、借金して、お金の奴隷に
なってるってことです。

なのでその本質を悟って
しまわぬように
様々な工作や仕掛けが
ばらまかれています。

さきほどの「ジェンダー」ですけど
この理解を誤解させるために
あるいは、
まるで、カラダの生物学的性の区別の
性差別(SEX)と混同した
差別ととらえて、混乱を招いて
いる人達がいますから、厄介です。

だから、社会的文化的に作られて
しまった性区別(差別)が、
正しいとは限らないのです。
人本来の有効な人生時間を
奪ってしまう道具になって
その名称が
「ジェンダー」とかって言う
使い方で、マスコミで
騒いで、お祭りにして
何を煽っているのかと云えば
男性VS女性のガチンコを
させようとしているのです。

ディープステートの親分が言ってた
言葉があります
「分断して、統治せよ」です。

テレビと新聞しか見ない国民は
完全に統治されてるわけです。

間違って、「女性専用車両」に
入ってしまった男が
「女性から暴力を受けた」
ニュースが、散見されましたが

これも差別の誤運用でしょう。

男全体が悪いのではなく
「痴漢する」奴を撃退すべきなのです。
たとえば、人間の心理の話には
なりますけど、、、
他人からそう思われている
としう心理が働くと
犯罪は極めて少なくなるのです。
(行動経済学で言ってます)

車両のドアや窓に
『この車両は痴漢は乗れません』
と貼ってみるのです。

価値ある時間の奪取の話から
脱線してしまいましたけど、

自由人が謳歌すべき時空の
空間がコンクリートで拘束され
健康が奪われ、
そして、時間が奪われているという
時代です。

逆説ですけど、自由人とは
何事にも拘束されないはずです。
ということは、
衣食住に頼らずとも
、自由に生きている
実感が感じられる存在となる
ことです。
そうなれば、
お金も、お金を得るための
ワークも必要ないんです。
その自由人は、
カラダからも解放されてる存在です。
それは、

四苦八苦(しくはっく)が、ない状態。
つまり、
生:生まれることで、様々な苦しみを味わい、最後に死が必須となる。
老:老いていくことで、体力、気力など全てが衰退し、自由が利かなくなる。
病:病気になれば、痛みや苦しみに悩まされる。
死:死への恐怖、自分のカラダが存在できなくなり、その先が無くなってしまう不安。
愛別離苦(あいべつりく):愛する者と別離すること
怨憎会苦(おんぞうえく):怨み憎んでいる者に会うこと
求不得苦(ぐふとくく) :求める物が得られないこと
五蘊盛苦(ごうんじょうく):五蘊(人間の肉体と精神)が思うようにならないこと

上記の四苦八苦が無い状態ですから
余程の自由人です。

カラダを持ったことで、
拘束され、奪取されて
いたんですかね。

だったら、最初から、カラダに
意識が入ることは
無かったと思います。

であれば、人生を「苦しみなさい」
と何かが云ってるようにも
思いますが、
「四苦八苦」をもう一度眺めますと、
何か共通するものがあると思います。









































「執着」です。

いつまでも万物は、
同じ状態を維持してる
わけでは無いです。

必ず、破綻、終焉、崩壊、分解
が起きるわけです。

それこそ、「強制解放」です。

早く執着からの解放を体感して
置かないと、執着を抱いたままで
死んでしまいますから
成仏しません。(笑)

「生きる」ということは

物理的に「オギャー」
肉体の生

物心つく

執着の萌芽

人としての生活

仕事や労働へ着手

執着の蓄積

結婚・家庭や自立

執着の開花

仕事・労働の成功

やがて老化を感じる

執着の限界意識(執着してもどうにもならない認識)

※この段階で、賢人は執着を捨てる

肉体の死

上記の大まかな一生の流れで
わざわざ執着が自然と生えて
最後には、その執着の限界を知り
この世を去ります。

執着という意味の中に
「・・・だから・・・でなければ・・・しないとダメ」
という固定概念が渦巻いてます。

それも、左巻きだったという
ことが、わかります。
世の中の多くがコレですから。

「いい学校に入らなうと
いい会社に就職できませんからネ」
とお母様が、仰っていますから・・・
みたいに、、、、

左巻きは、物事を「マイナス」に
捉えようとする働きで、
そこから、離れるイマージです。
つまり、近寄って、よーく本質を
見ようとするんではなく、頭から
「嫌なもの」から離れてみる心象でしょう。
だから、自ら手で触れたくないし、
触れて確認するのではなく
何かを使って、確認するという
物事の把握の仕方です。

すべて、頭の中の空想として
「嫌なもの」が
持って、すでに立ち上がっていた
(メインフレームコンピュータ用語でいうと
起動していた、スターテッドタスクのような
感じでしょうか)
ことで、それがリアルなモノゴトと
混同した状態でしょう。

なので、正しく観えてない

「嫌なもの」というメガネを
通してしか見えてないのです。

執着心が旺盛な人は、人生時間が
短い人です。
なぜらば、正しく観えてない時間に
浪費させるからです。

ここで、今回のテーマでたどり着くのが
断捨離。

余計なものは捨てることで
本質が観えて
無駄な時間を過ごすことも
無くなると思います。

ところで、右巻きは断捨離かというと
そうでは、ありませんから。

断捨離は、
最初はそれ(執着という固定観念)
を持っていた人でなければ
できないことです。

ところが
「・・・だから・・・でなければ・・・しないとダメ」
というのが、全くと言って無い方。

富裕層のお坊ちゃまに多いです。
母上様から、常に云われ続け
反抗も出来ない
力の強い方から、何か命令をされないと
行動できない人です。

根無し草のように、あっち行ってフラフラ
こっち来てフラフラの人かな。
固定する観念が無いので、
これも厄介な人生ですよね。

あーあ、代表的な人居ました。
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では、また。


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