【ラムサ:その4】古代の人物 「ラムサ」の教えについて

こんにちは、\ソウジャ です。/

私は、スピ系は、苦手なのですが
「IS-BE」の存在を知ってから
というもの、
アセンディッドマスターと呼ばれる
「IS-BE」がいることを
知り、その中でも
古代の人物「ラムサ」について

その人生を語った内容のHPが
ありましたので、

以下引用をさせていただき
置いときます。

「ともしび」 武本昌三さまHPより
http://www.takemoto-shozo.com/
前回、当ブログ(その3)からの続きとなります。

<引用開始>_______________________

 -RAMTHA研究序説(その2)-

人間にとって死とはなにか。
私たちが一般的に理解しているところでは、
死んだあと葬式が行われ、
遺体の腐敗が進まないうちに
火葬場に運ばれて灰になる。
そして、これで完全にいのちは消滅し、
その人の一生は終わる。
これは現実に、私たちのまわりで日常的に
みられる光景だから、
死んだら灰になって終わるというのは、
私たちの頭の中にある生の終着点としての、
きわめて現実的なイメージであるといえよう。

しかしラムサは、私たちが一般的に考えがちである
そのような死は、大いなる幻影であるにすぎないという。
一度創造されたいのちは
決して消滅することはない。
だから、人間にとっての死とは肉体だけの死である。
肉体のうちに在り、
それを操る本質の部分は、
もしそれが望むならば、
すぐにでもまた別の肉体に宿り、
さらに生き続けていくというのである。
それをラムサはさらに、
次のように述べている。
【本稿でも引き続き、Steven L. Weinberg ed.,
RAMTHA, Sovereignty, Inc., Bellevue,
Washington(U.S.A.), 1986, をテキストとして用いる。】

生命は決して終わることはない。
確かに身体に危害を加えることはできるであろう。
首を斬ることだろうが、内蔵をえぐり出すことだろうが、
やろうと思えばどんな残酷なことでもやれないことはない。
しかし、その肉体の中に生きる人格=自己は、
絶対に滅ぼすことができない。
人格とは思考や感情である。
思考や感情をいったいどのように破壊できるのか。
考えてもわかることである。
思考を爆破できるであろうか。
刃物で刺すことができるであろうか。
そもそも闘いを挑むことができるのか。
それは不可能である。
人間でも動物でも、
地上に棲息するすべての生き物の生命力は、
身体という仮面に覆われて生きている、
つまり眼には見えない思考と感情の集合体なのである。

肉体の中に生きる人格=自己は、
ここではいのちと置き換えることができるであろう。
このいのちは、実は滅びることがない。
それが真実である。
そして、それが真実であることを、
ラムサは繰り返し訴えている。
以下本稿では、
そのラムサの教えについて、
いのちの永続性を中心に考察していくことにしたい。

3.
 3-1

あなたは誰なのか?
なぜいまここにいるのか?
あなたの生きている目的と運命とはいったい何なのか?
あなたは自分が単なる偶然の産物であり、
ほんの短い時間だけこの世に生きて、
つぎの瞬間には消滅するためだけのために
生まれてきたと思うのだろうか?
本当に?
以前生きていたことなどはないと思うのはなぜか?
なぜいま生きているのか?
なぜ生きているのがあなたなのか?

 あなたはこの地上界に何千回と生きているのだ。
まるで気まぐれな風のように、
戻っては去っていった。
あらゆる顔や肌の色、主義主張や宗教を体験している。
戦争を仕掛け、仕掛けられ、
王と召使いの両方を同じように生きてきた。
船乗りや船長にもなった。
征服者や被征服者にもなった。
自分の歴史の理解の中にあるすべてのものに
あなたはなった経験がある。
それはなぜか?
感じるため、
智慧を得るため、
そして、あなた自身というもっとも偉大な
神秘を解き明かすためだ。

 本文を理解するためにも、
ここではまず、人間の生まれ変わりについて
考察しておきたい。
「あなたはこの地上界に何千回と生きているのだ」
という重大なメッセージを、
どのように捉えていけばよいのであろうか。
その手がかりとなる「証言」から
見ていくことにしよう。
たとえばコナン・ドイルは、
「人間の魂が霊的な完成に近づくためには、
どれほどの時間が必要かをよく考えて見れば、
人間がたびたび生まれ変わることの
必要性がわかるだけでなく、
人生の些細な出来事ですら、
大きな意味を持つことがわかるはずです」
と霊界通信で述べている。
このことについては、
別の稿でも詳しく述べてきた。
【武本昌三 “Arthur Conan Doyle の
Spiritualism について” および “補遺” など。】

また、この生まれ変わりは、
仏教でもいろいろと取り上げられてきた。
親鸞の弟子・唯円が書いたとされる
『歎異抄』の第五段には次のような文章がある。

 親鸞は父母の孝養のためとて、
一返にても念仏まうしたること、
いまださふらはず。
そのゆへは、一切の有情は、
みなもて世々生々の父母兄弟なり。
いづれもいづれも、
この順次生に仏になりて
助けさふらふべきなり。

 ここでは親鸞は、
父母というのは自分の父母だけが
父母なのではない。
人間は何度も何度も生まれ変わるから、
生きとし生けるものは、
みんないつかの世で、
父母であり兄弟であった。
だから、念仏をとなえる場合でも、
現世の自分の父母だけに対する
孝養のつもりでとなえたことは一度もない、
と言っている。
親鸞にとっては、
まわりの人たちすべてが、
親であり兄弟でもあった。
これは、前述のコナン・ドイルが、
人類に残したメッセージのなかで、
同胞愛の必要性を述べているのと
同じであるが、それも、
人間が何度も何度も生まれ変わっている
からこその同胞愛であろう。
この意味でも「人間の生まれ変わり」は、
おそらく「人類皆兄弟」の同胞愛とともに、
仏教の教えを支える根幹である
といってよいのかもしれない。
真言宗では、
「人身は受け難し、今すでに受く。
仏法聴き難し、今すでに聴く。
この身今生に向かって度せずんば、
更にいずれの生に向かってか
この身を度せん」と礼拝文を唱える。
これも、生まれ変わりの人間の姿を
表したものといえるであろう。
空海の、
「生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、
生のはじめに暗く、
死に、死に、死に、死んで、
死の終わりに冥し」
も基本的には同じで、
何度生まれ変わればいのちの真実が
わかるようになるのか、
いまの人生で真実を掴むべきだと、
無明の闇から抜け出すことを
教えているのである。
この生まれ変わりが、
科学の分野でも実証され始めたのは、
最近3, 40年来のことである。
欧米の大学医学部で、
「退行催眠」という精神医学の
治療法が発達してきたからであった。
催眠というと、私たちは何となく
トリックや奇術めいたものを
連想しがちであるが、
欧米の大学医学部で
行われているのは、
そういうものではない。
医術としての催眠である。
訓練を受けた医師の誘導によって、
患者が心身をリラックスさせ、
意識をある一点に集中させると、
意識の奥に潜んでいた過去を
思い出すことができる。
それによって、過去に受けた
こころの傷などを探ろうというものである。
ただし、過去生にまで遡るためには
かなり高度な催眠技術が必要で、
この治療法が、欧米でもひろく
一般化されているわけではない。
そのなかで、ヨーロッパの九つの大学の
学位を持つ
イギリスのアレクサンダー・キャノン博士は、
この退行催眠の研究者としては先駆者の一人である。
被験者1,382人を紀元前何世紀というはるか
昔まで退行させたという記録を持っている。
そのキャノン博士も、
初めのころは生まれ変わりを信じようとはしなかった。
1950年に出した自分の著書の中で、
彼はつぎのように述べている。

 何年もの間、
生まれ変わりの説は、
私にとって悪夢であり、それに反駁しようと
できるかぎりのことをした。
トランス状態で語られる光景は
たわごとではないかと、被験者たちと議論さえした。
あれから年月を経たが、
どの被験者も信じていることが
まちまちなのにもかかわらず、
つぎからつぎへと私に同じような話しを
するのである。
現在までに1,000件をはるかに越える事例を
調査してきて、私は生まれ変わりの
存在を認めざるをえなかった。
【 Joel L.Whitton and Joe Fisher;
Life Between Life, Doubleday,
1986, New York., 片桐すみ子訳
『輪廻転生』人文書院、1989年、p.93.】

 キャノン博士は、
1970年代から1980年代にかけて、
さらに何千人もの患者を退行催眠により
治療してきたが、
その業績の上にさらに研究を積み重ねてきたのが、
カナダのトロント大学医学部の精神科主任教授を
務めるジョエル・L・ホイットン博士である。
ホイットン博士は、14歳ころから催眠家としての
腕前を発揮してきたらしい。
20代になってから、彼は次第に人間の
生まれ変わりに関心を持つようになり、
催眠技法に磨きをかけていったといわれている。
深い催眠状態に入れる人たちは
――それは人口の4~10パーセントくらいと
いわれてるが――みな同じように、
指図に従って誕生前の前世に戻れる、
ということを発見したのは、
彼がトロント大学の精神科主任教授になった頃である。
「前世に戻ってください。
・・・・・さあ、あなたは誰で、どこにいますか」。
こう博士が言うと、催眠状態の被験者は、
自分に関する別の時代、別の場所での
エピソードを詳しく話し始め、
その時の自分の姿を
再び演じてみることさえあった。
このような催眠下の被験者を通じて、
ホイットン博士は人間の生まれ変わりの
理由を明らかにしていったのである。
簡単にいえば、それは魂の修行をするために
自ら選んで、この世に生まれてくるということである。
人間は、いろいろと自分の修行に適した
計画をたてて生まれてくるが、
なかにはその計画が充分でない魂も
あるようである。それを催眠下の被験者が
博士に告げるときには、必ず不安そうな表情になる。
一方、はっきりした計画を持った魂は、
その計画が困難に満ちたものであっても、
淡々としてそれを博士に語るという。
そして、計画が決定されれば、
あとはまた、生を受けてこの地上の
肉体に戻ることになる。
本節の「生きている目的と運命」とは
「あなた自身という最も偉大な神秘を
解き明かすため」という
ラムサのことばも、このことを
言っているのであろう。
つまり、人間の誕生は、
この世での修行への出発であり、
死とはまさにあの世への帰郷で、
修行の苦しみから解放されて
憩いの期間に戻ることにほかならない。
死とは、だから、本当は
悲しむべきことではないのであろう。
逆に、修行とはいえ、
時間と空間のない自由なあの世から、
肉体をまとって物質界の拘束を受ける
この世に生まれることは
一種の苦痛であるにちがいない。
そのために、またこの世に生まれることに
消極的な魂も少なくない、
といわれている。
ホイットン博士の被験者の場合、
死んでから次に生まれ変わるまで
最低10か月、最も長いものでは800年以上
であるという。平均的には40年ほどになるが、
その数値は、過去数百年の間に確実に
縮まってきた。
昔の世界では大きな地球上の変化はなく、
今日ほど生まれ変わりの誘因が見られなかった。
現代では、地球上の変革が相次いで、
この世での新しい体験を待ち望んできた
魂たちを誘い込むため、
生まれ変わりの頻度が増えてきているのである。
それが、世界の人口の急激な増加に
つながっているのだといわれている。
ホイットン博士は、このような人間の
生まれ変わりのありようを、
自らの長年の研究と退行催眠による
実証をとおして、つぎのように述べた。

 一番重要なのは、
今回の人生で私たちがおかれた境遇は、
決して偶然にもたらされたものではない
ということである。
私たちは、この世においては、
あの世で出生前に自ら選んだことを
体現しているのである。
私たち自身が、あの世で肉体を持たない
状態の時に決定したことによって、
今回の人生が決まる。
そして、どのような潜在意識で
人生を生きていくかによって、
いわゆる運、不運も決められるのである。
【ibid., p.115.】
<引用終り>_______________________
今回は、ココまでとします。

■編集後記
今回は、「退行催眠」の話が出てきましたが、
わたくしが、以前、掲載した

『唖然としました、
前世療法の信憑性が怪しく、、
「生まれ変わり」はあるのか?』

で考察していますので、
詳しくは、そちらをごらんください。

肉体も肉体に付随する全てのモノは
死滅します。
というか、分子や原子が解放される
サイクルになりますから、
もはや、肉体由来のすべての関係物は
亡くなります。

それで、「生まれ変わり」という
事象については、
私は、「タマシイ」が別の肉体に
転生するという表現よりも

まったく別の肉体が、
過去の他人記憶を
巻き取って、表層意識に
登らせて同期するから
あたかも、生まれ変わってきたように
感じてしまうのだと思われます。

ただ、コレだと、
新しいその肉体と心である
その人間が、
なぜ、過去の別な肉体を持っていた
人間の記憶を巻き取ることが
出来るのだろうか?
ということです。

それは、新しい肉体を
持っている、その人間の
「意識」が
別な以前の人間の記憶に
自然と同調している
ということに他なりません。

私の結論を云いますと、
人間という本質の存在は
「意識」
であると考えられます。

意識は物質ではなく周波数の高い想念
意識は知性と知恵がある
意識はエネルギー
意識はすべての命
意識は不滅(命の不滅の法則)
意識は時間と無関係
意識は物質と時空を利用できる
意識は人間を通して学ぶ
意識は個であり全体でもある(共生・共有)
意識は偏在できる
意識は個性がある
意識は「IS-BE」(在るモノであり、成るモノでもある)

なので、「IS-BE」である人間は、
生き続けて、肉体は死んでも
時空を旅しながら、記憶を継承し
学んでいく旅人のようです。

その実例を下記に示します

■ブレイク前夜~次世代の芸術家たち~ #146 大谷郁代(Ikuyo Otani)

こちらの「IS-BE」は、「感覚の共有志向です!」

■「奇跡のピアニスト」辻井伸之

では、また次回へどうぞ。

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