【ラムサ:その3】古代の人物 「ラムサ」の気づき・・・風となったとき・・・人が自分を神と呼ぶならば、 その人はやがて実際に神となるのである。

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こんにちは、\ソウジャ です。/

私は、スピ系は、苦手なのですが
「IS-BE」の存在を知ってから
というもの、
アセンディッドマスターと呼ばれる
「IS-BE」がいることを
知り、その中でも
いまからご紹介する
古代の人物「ラムサ」について

その人生を語った内容のHPが
ありましたので、

以下引用をさせていただき
置いときます。

「ともしび」 武本昌三さまHPより
http://www.takemoto-shozo.com/spirit-7.htm
前回(その2)からの続きとなります。

<引用開始>_______________________

2.

ラムサは、このひどい傷から回復するまでは何もできず、
静養しながらまわりのすべてについていろいろと考え始めた。
ある日、彼は一人の老女がこの地上界から去っていく姿を見た。

彼女は、ずっと前にこの世を去った息子のために織った
粗末な布をしっかりと手に持っていた。
昼下がりの陽光の下で、嗚咽しながら息を詰まらせ、
そのまま徐々に息をひきとっていった。
太陽はその老女の上に明るく輝いている。
当然のことながら、
太陽はこの女の死んだことなど全く関知していなかった。
その夕べ、
日が沈むのを眺めながら、
ラムサは太陽の無関心を罵った。
それでも太陽は、最後の美しい光を山の向こう側に
残して静かに落ちていく。
太陽は彼に対してもまた無関心であった。
偉大な征服者の彼に微塵の関心も示さなかった。
太陽はなぜこうなのか。
そして、そもそも自分とは何だ。
夜鳥が頭上で鳴くのを聞き、
満ちていく青い月を見上げているうちに、
彼は心底からすべてに嫌気がさしてきた。
確かに彼は偉大な戦士であった。
剣をもってすればどんな相手でも
一瞬のうちに真っ二つにすることができる。
敵の首を斬り、体を切り刻み、
人を焼きもした。
だが、いったい何のためにそんなことを
してきたのだ?
太陽はそんなことに関係なく、
目を見はるような美しさで沈んでいく。
夜鳥はいずれにしても鳴く。
何があろうとも、月は昇ってくるではないか。
彼はこの時、急にまたあの
「未知なる神」のことが頭に浮かんできた。

《私が「未知の神」について
思いをめぐらせ始めたのはこの時であった。
私が本当に求めていたのは、
この恐ろしく荘厳で神秘的なもの、
信じがたいほど遠くにあるものを理解すること
だけだった。
それに、人間とはいったい何なのか?
なぜ人間は太陽より偉大ではないのか?
何ゆえに
あの老女は生きることができなかったのか?
この地上界にこれほど大勢いて、
その想像力の源泉であり、
すべてを統一する力である人間が、
すべての生き物の中で
一番脆弱な存在であるのはなぜか?
わが臣民が言うように、
もし人間がそれほど重要な存在ならば、
その人間が死ぬとき、
なぜ太陽がその動きを止め、
弔いをしてくれないのか?
あるいは月が紫色にならないのか?
鳥は飛ぶのをやめないのか?
人間にはあらゆる危険が迫ってきても、
すべてのものは何事もなかったように続いていく。
人間は全くとるに足らない存在ではないのか?
私は、ただそれを知りたかった。》

しかしラムサは、
「未知なる神」について教えてくれる
師を持たなかった。
生きている人間で彼が師として仰ぎたいものは、
誰ひとりいなかった。
生きる者であれば、誰もが多かれ少なかれ
変質した思考の持ち主だったからである。
真に純粋で無垢なものを、
人間というのは自分自身の限られた
思考によって間違った方向に変えてしまう。
だから彼は、
人間の思考が作り出した神などとは
いっさい関わりたくはなかった。
人間が神を作り出したのなら、
その神もまた、不完全なものでしか
ありえないからである。
彼に「未知なる神」について
教えてくれたのは、
常に本当の意味での師である
人生そのものであった。
彼は昼から学び、夜から学んだ。
破壊と戦争の真っ只中にあっても、
そのおびただしい数のひ弱な人間の
いのちから学んだ。
彼はまた、太陽の輝きに思索をめぐらした。
それが、東から現れて大空を旅し、
西の空に没する姿を見守った。
沈黙を守ったまま太陽が、霊妙な形で
人間を支配していることを学んだ。
戦場の勇者たちがどんなに果敢に
戦い続けたとしても、
太陽に逆らうことはできない。
日が沈めばその戦いは止むのである。
彼は徐々に「未知なる神」についての
理解を深めていった。
彼はこう考えた。
「未知なる神」とは、人間の変質した思考から
生み出された神ではない。
人間のこころにある神とは、
人間がもっとも恐れ、敬愛する者が
人格化された姿であるに過ぎない。
真の神とは、
決して途絶えることのない本質の部分であり、
それこそがどんな形でも
自分の幻想を作り出し
それを現実化していくことを
許しているのだ、と。
そして彼は、次のように確信していった。

《「未知なる神」とはいったい誰なのか。
それは私である。
そして、夜の巣に憩う鳥たちであり、
葦に宿る霜であり、
朝焼け、黄昏の空だ。
さらにそれは太陽であり、
月であり、子供たちであり、
その笑い声であり、
白いなめらかな足であり、
流れる水、ニンニクと革と真鍮の匂い
だったのだ。
それはいつでも私のすぐ目の前にあったのに、
それを理解するのに長い時間がかかってしまった。
「未知なる神」は、
月や太陽を超えたところにあるのではなかった。
それは、私のまわりのすべてにあったのである。
この見方が私の内に新たに生まれてからは、
私は人生を受け入れ、
自分にとって大切なものをしっかりと守り、
生きて行くべき理由も
見つけられるようになった。
血や死や戦争の悪臭のほかにも、
それ以上に価値のある存在があったのだ。
それがいのちなのだ。
いのちこそ、私たちが思っていたより
はるかに偉大なものであったのだ。》

この気づきによって、
彼は、その後の長い年月を通じ、
確かに人間こそが
すべての存在の中で最も偉大な存在だ
ということが理解できるようになっていく。
そして、人間が死んでも
太陽がそのまま存在し続けるのは、
太陽が死のことなど思索しないからであり、
太陽が知るのはただ、
「在る」ということだけだ、
ということもわかるようになった。

ラムサは、体の傷が癒えてしまうと、
平原に座り、自分の軍の兵士たちが太り、
怠けていくのをじっと見ていることしか
することがなかった。
ある日、山々の幽玄な姿がはるか遠く
地平線のかなたに霞んでいるのを見ていた彼は、
[未知なる神」になること、
つまり、生命の本質になるということは
どういうことか、
また、その永続する本質の一部になるためには
どうすればよいのか、を考えていた。
ちょうどその時、
風が吹いてきて彼に戯れたのである。
ラムサが着ていた王様然としたきらびやかな服を
下から吹き上げ、それを頭の上に
巻き上げてしまった。まったく無礼千万である。
征服者の姿としては滑稽で、
決して見栄えのするものではない。
それから、その風はサフラン色をした
砂を巻き上げたかと思うと、
彼の側に天まで届くような砂の柱を作った。
そして風は動きをやめ、
その瞬間に、砂埃を全部彼の頭の上に
落としていったのである。
風は音を立てて渓谷のほうへ移っていくと、
美しいオリーブ畑を通り、
木々の葉をエメラルド・グリーンから
銀色に変えた。
そこにいた若い女性のスカートを腰の所まで吹き上げ、
そのあとには明るい笑い声が響いた。
つぎにその風は、小さな子供の帽子を吹き飛ばしたが、
その子は大声ではしゃぎながら、
そのあとを追いかけていった。
ぶざまな格好にさせられたラムサは、
腹を立て、その風に戻ってくるように命じた。
しかし、渓谷の風音が笑い返してきただけだった。
彼が青筋を立てて命令を怒鳴り立てても、
それも平気で無視された。
そして、征服者の彼もついにはしりもちをついて
座り込んでしまったとき、
その風は戻ってきて彼の顔をやさしくなでていった。
彼は、はっとして考えた。
これこそが自由というものだ。
自由とはこの風のことではないのか、
と。こうして彼は、それ以来、
風にあこがれ、風について思いをめぐらせ、
風に近づいていった。つぎのようにである。

《私にとっては、風は究極の存在だった。
それは、止むこともなく自由に動きまわり、
すべてを呑み込む。
境界もなければ形も持たない不思議な存在で、
しかも探求心が旺盛で冒険もする。
これこそまさに、あらゆるものの中で、
生命の神なる本質の部分にもっとも
似通っているのではないか。
それに風は、決して人を判断したりはしない。
見捨てもしない。
風はもし呼べば、誰の所へもやってくる。
愛があるからやって来るのだ。
理想とは本来そういうものであるべきなのだ。
私は、だから、風になることを望んだ。
そのことに何年も何年も思いをめぐらせた。
風は私の理想となった。
どうしても風になりたかった。
風を思い続け、そのつかみどころのなさ、軽さ、
イメージに自分を合わせようとした。
そして、風の真実を真摯に追い求める過程のなかで、
私は遂に風そのものになることができたのである。》

ラムサはどのようにして風になることができたのか。
最初の出来事は、彼が剣を突き立てられた時から
6年後に起こった。
そのころの彼は、夕刻になるといつも平原に出て一人で座り、
月の青白く柔らかい光にじっと見入りながら、
風に思いを馳せることにしていた。
そしてそんなある時、驚いたことに
突如彼自身が天空に浮かんでいることに気がついたのである。
彼はいま、風のように舞い上がって空にいる。
下に広がる平原の真ん中には
ほんの小さな点と化した自分の肉体が遠く
離れて見える。
まったく予想もしなかったことが突然に起こって、
その小さな点となった自分を見たとき、
彼は剣を突き立てられて以来はじめて恐怖を感じた。
その瞬間、彼は地上に降りていた。
彼をもとの肉体に戻したのは、
ほかならぬこの恐怖であった。

つぎの日の夕刻、彼は再び、
天空に浮かぶことのできたあの場所へ出かけ、
風になろうとして風に思いを馳せた。
しかし、もう風にはなれなかった。
その後、何度試みても天空に浮かぶことは
できなかった。
再び風になるまでには2年が過ぎた。
ある夜のことである。
彼は眠りにつく前に、
彼の意識にあるすべてを讃えていた。
太陽を、生命を、そしてサフラン色の砂を、
月を、星を、ジャスミンの香りを・・・。
そのときである。
瞼も閉じない内に、
彼はまた風となって天空にいた。
ラムサが自分の肉体を離れる術を
マスターしてからも、
思い通りにどこへでも行けるようになるまでには、
ずいぶん長い時間がかかった。
それもできるようになって、
それからは長年にわたり、
彼は想念であちらこちらの王国に旅し、
いろいろな存在に出会った。
ほんの一瞬のうちに過去から未来へと
移動することも覚えた。
思考のあるところに、
自分自身の存在もあることが
わかったからである。

【この体外離脱についての資料・文献は豊富である。
たとえば、Robert A. Monroe; Far Journeys, Doubleday
& Co. New York, 1985.
(坂場順子訳『魂の体外旅行』日本教文社、1990)
では、体外離脱をつぎのように説明している。
体外離脱とは、
完全に意識があるまま、
自分が自分の肉体の外にいることに気づき、
あたかも肉 体的に機能しているがごとく
物事を感知したり、また行動したりすることだ。
空間をゆっくり移動 したり、
明らかに光速以上のスピードで動いたりできる。
物質、たとえば壁、鉄鋼板、コンクリー ト、
土、海洋、大気、更にはは放射線の中さえまでも
何の努力もせず、何の影響も受けず
動き回ることができるのだ。
こうしたことは新しい現象ではないのだ。
最近行われた調査によると人口の全体の
25パーセント の人間が少なくとも
一回はこのような経験をしているという。
(坂場訳、p.3)
体外離脱の内外の事例を集めて
分析したものとしては、笠原敏雄編著
『霊魂離脱の科学』叢文社、1983、などがあり、
筆者も、精神医学の巨人、C.G.ユングや、
ターミナル・ケアで著名な
エリザベス・キュブラー・ロスの
体外離脱について紹介している。
武本昌三 “Arthur Conan Doyleの
Spiritualismについて(補遺)” など。 】

敵にとっては、ラムサはいままで以上に
恐ろしい相手になった。
敵の思考がすべて
彼にはわかってしまうからである。
どんな敵に対しても、相手の思考を読みとって、
戦略の裏をかくことができる。
もはや、相手の国を攻める必要もなくなってきた。
自滅していくようにし向けさえすればよかった。
彼は、名実ともに偉大な征服者となり、
彼にとってのすべての敵はもはや
敵ではなくなってしまったのである。
しかし、風になることのできたラムサにとっては、
征服や戦争はもはや彼の関心事ではなくなっていた。
風についての思索を深め、
その自由の意味を悟り、
神への道を模索することこそが
彼の最大の関心事になっていった。
彼は、つぎのように述懐する。

《風となったとき、
人間は自分自身について無知である
といかに小さく無力であるか、
そして、知識の中に身を置くと
どれほど偉大な存在になるかを、
私は悟った。
そして、人間は何でもなりたいものについて
思いをめぐらせていけば、
それがなんであれ、
それそのものになることを知った。
自分はみじめで無力なのだと長い時間
自分に言い続ければ、
実際にそうなってしまう。
自分を風の主と呼ぶならば、
私がそうであったように、
本当に風の主となる。
そしてもし、
人が自分を神と呼ぶならば、
その人はやがて実際に神となるのである。》

こうした真理を学んでからは、
彼は自分の同胞たちに、「未知なる神」と
すべての生命の根源について
教え始めた。
真理を伝えることが彼の事業となった。
そして、年も老いてきたある日、
この生での使命はすべて成し遂げたという
ときが訪れた。
ラムサはインダス河を渡り、
やはりインダスと呼ばれていた山の麓で、
120日の間、彼の国の民すべてと
ともに語り合った。
そこで彼は皆に強く訴えた。
そこで語られるものこそが真実
そのものであることを知ること、
そして、神からの啓示は、
誰かほかの人間を介してではなく、
人間一人一人を創造した神を
通して訪れるものであること。
これを信じてもらうため、
彼はみんなの見ている前で
彼らの頭上を越えて
空中高く浮かび上がって見せた。
みんなは呆然とした。
女たちは悲鳴を上げ、兵士たちは
信じられない光景を目の当たりにして、
思わず剣を落とした。
ラムサは彼の愛する民すべてに別れを告げ、
それぞれが自分なりのやり方で、
彼と同じことを学び、
彼と同じようになることを訴えた。

【われわれは、「それぞれ
自分なりのやり方で」神我を顕現
させなければならない。
自分が神であることを知ること、
自分の中にこそすべての形あるもの
造る力と原質と知慧があることを知ること。
そして、神我の顕現は神我自体がやるのではなく、
個我がすることを知らねばならないのである。
ベアード・T・スポールディング
『ヒマラヤ聖者の生活探求』
第1巻(仲里誠吉訳)、
霞ヶ関書房、
p.218等を参照。】

それが最後の教えであった。
それから彼は、文字通り昇天した。
彼は神になったのである。

ー 1997年10月14日 ー

<引用終り>_______________________
さて、今回で

RAMTHA研究序説(1)

は終了します。

次回は、いよいよ
宇宙意識への覚醒*
-RAMTHA研究序説(その2)-
への話になります。

では、また。