「人生の成功」って何?・・・お師匠様が叱るときに言うことばは?

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こんにちは、\ソウジャ です。/

今回は、人生としての成功を考えて見ます。

人によって成功とは何か?

定義はまちまちでしょうが、、、

仮に

人は楽なほう楽なほうと選択しがちです。

そんな人生、「楽しい」でしょうか?

同じ「楽」という文字を使って
しまいましたが
全然、意味は違います。

人生が平坦で、辛苦も味わわず

なんの山谷の起伏もなかったとしたら

あなたは、死ぬ瞬間に

「ああ、素晴らしい人生だった
もう、思い残すことは無い」

と言って、
臨終を迎えることができますか?

なんか、
不発に終わった「花火」にしか
思えませんわねぇ。

こんな事、
実は、十代や二十代では、実感
出来ないんです。

いろいろ、やらないと
わからない。

ココで
定義させてもらいます。

人生の成功とは

死ぬ瞬間にこそ「判定」されるもので
(ひとつは、自己判定ですが・・・)

その

判定結果
「良い人生だった、
思い残すことは無い」

と言えたなら、

たぶん

人生は「成功」したのだと思います。

ときに、よく言われることがあります。

「あの世にカネは持って行けない」

です。

しかし、
ときどき親が子供に莫大な
資産を残して死んだケースがあります。

残された、子供らが骨肉の争い
を行っている。

その原因を作ってしまったのは
莫大な遺産を残し、
処置しなかった親。

この親たちは、死んだ後のことも

なぜ、考えなかったのでしょうか?

自分たちのことしか

アタマにない状態であれば

人生の成功は

莫大な「資産」を増やすことだけ
だったりします。

そうであれば、
つまらない人生であった。
ということです。

それでも、本人が自己満足で
「いま」だけ
「カネ」だけ
「身内」だけ
と考えて生きて、
臨終に、
「良い人生だった、
思い残すことは無い」
と思うのであれば、、、
それが強欲の「成功」かも・・・
しれません。

したがって、死んだあとのことは
お構いなし!です。。。

総じて、、、

つまらない人生であった。
ということです。
誰も感動しませんし、
誰も心から泣いてくれません。

それでも良いでしょう。

ただ、、
死期が近づくのに、
往生際が悪いと云うか、
欲が残っていたりすると
マネーは持っていけないのに
「私は不憫」と思ってるのか、
擁護老人ホームに
入ってからも、「客」気取りで
威張ってる醜い
「異臭を放つ老人」は
ケア関係者を手こずらせます。

何を勘違いしてるのでしょう?

もう、時間が残り少ないと
云うのに、現役同様に

カネに物言わすような
態度で、
あらゆることに
「文句」をつけて
口を尖らせて、
注文をつけている姿が

生きてる証拠のように振る舞う。

これは、成功してない姿です。
少なくとも、本人が
未成熟で、体が老化して
朽ちていく
アンバランスな
死に方でしょう。

私が思う人生の成功とは

腑に落ちた
「使命感」として生きること

が挙げられます。

その雛形は

意外と歴史上の偉人や有名人であったり
人生での出会い・巡り会いで
恩師となっている人

などが挙げられます。

いわゆる
メンターの存在です。

しかし、メンターとの関係は
間違いなく

「依存」では、成り立ちません

それは、あくまで
自分が自分の足で立ち
そして、
人生の目標に向かって歩くこと
と言いたいです。

つまり
「自立」しようとする

ために

ヒントやアイディアを授けてくれる

師匠さんの存在が必要なのです。

そのためには

自分で師匠を
探しに行かねばならないのです。

あるいは出会わなければなりません。

どうしても!

だって、そのために
あなたは、
この世に生まれてきました。

自立のはじめは

師匠を求めて旅をすることから
始まるのかもしれません。

その旅の開始は

年齢に関係なく

体力に自信があればいつでも
出発可能です。

だから、年齢が若ければ若いほど
「お得」なんです。

そして、私は予言しておきます。

お師匠様から、注意される「ことば」
ナンバーワン!

「言い訳をするな」

です。

自立している人は、

この言い訳はしません。

会社でも眺めていると

ほとんどの社員は「依存」

つまり

言い訳、言い放題

「何々だから、できなかったんですよね」

先輩社員や上司は云います。

「もう、聞き飽きたぜ!」

では、また次回をおたのしみに

天上.jpg


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