「嗚呼革命は近づけり:作詞:築地此仲助 / 土取利行(唄・演奏)」より

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こんにちは、\ソウジャ です。/

日本人の気質というか
考え方の特徴のひとつ、として
顕れているのが
「ボロは着てても、心の錦」
という考え方があります。

日本人なら、なんとなく
「ココロイキ」という感じで
考え方、というか
やっぱり、
「心意気」として捉えてるんです
よね。

「いっぽんどっこの唄」で
おなじみの歌詞に、出てくる
フレーズです。
https://youtu.be/Vu1f1xtU3-c?t=16

しかし、アメリカ人には
この感覚は、無いそうです。

引用元:http://u0u0.net/PHy6
<引用開始>_________
・・・
たとえば、
■米国に「ボロは着てても、
心は錦」はない

日本では
「ボロは着てても、心は錦」
なんて言われますが、それに
相当する言葉はアメリカに
ありません。
日本の場合、ボロを着ている
自分を誇る気分すらあるのでは
ないでしょうか。
もう正反対です。

また日本では、
「汚いけどおいしいラーメン屋
さん」が話題になったり
しますよね。
店が汚いほうが、かえって
客の期待感が高まることすら
ある。
これもアメリカでは
ありえません。
「汚い店はまずい」が
アメリカでは常識なのです。

アメリカではレストランの
入り口にAとかBとかいう評価が
掲げられています。ほとんど
アポイントなしで保健所が
衛生検査に来て、点数を
つけるのです。
Aが最高で、Cが最低。
CどころかBの評価でも、
アメリカ人は入るのを
嫌がります。
どんなにおいしかろうが、
まずは見た目が重要なのです。
・・・
<引用終り>_________
なぜもこのように
「ボロ」にこだわるのか
まあ、下記の動画を
聴いてくだされ・・・

<以下紹介する
動画のコメント欄より>
1907年大阪平民新聞の募集歌で
1908年に発表。
歌詞だけの募集で曲は
一高寮歌の
「嗚呼玉杯に花受けて」が
用いられ、当時堺利彦と出会い
社会党ラッパ節を作った
添田唖蝉坊が唄い広く知れ
渡ったという。
歌詞の選考者は堺利彦だったと
いわれている。
■嗚呼革命は近づけり:作詞:築地此仲助 / 土取利行(唄・演奏)

■編集後記
この動画の最初の歌詞が・・・

嗚呼革命は近づけり
嗚呼革命は近づけり
起(た)てよ白屋(はくおく)
襤褸(らんる)の児(こ)
醒(さ)めよ市井(しせい)の
貧窮児(ひんきゅうじ)
見よ我自由の楽園を 
蹂躙したるは何者ぞ

ここで、特にわからなかったのは
「白屋(はくおく)
襤褸(らんる)の児」の意味

調べると、

白屋(はくおく)とは、、
白い茅(かや)で屋根をふいた
貧しい家。
また、そこに住む人。

襤褸(らんる)とは、、
ぼろ布、古布の意味で、
江戸から昭和初期にかけて
着用されてきた
粗末な布を指すそうです。

要すれば、
「貧しい家のボロを着たこども」
となります。

この唄が1908年に発表と
あります。
111年前に当たりますが、
日本は、ちょうど1907年に
経済恐慌に陥ったと
されています。

理由は、、、
日清・日露戦争が
終わって間もない頃、
日本は勝ちましたが、
戦費でお金が無くなりました。

つまり、日清戦争では賠償金が
取れて軍事費は回収されてますが
一方の、日露の賠償金は、
1905年に締結された
日露講和条約(ポーツマス条約)
において、賠償に関する規定が
一切なかった為、日露戦争時に
発行された外債はすべて
日本政府負担となって、
軍事費が増大
したままであり、土地が
増えただけで,徐々に
財政負担になっていったのです。
(これって、メチャありえない
です。勝者は敗者から金銀財宝の
すべてをぶんどってもOKな
はずです。
これは、知恵袋に回答があり、
http://u0u0.net/PHES
理由は、好意的だったアメリカ
世論と、S・ルーズベルト大統領
の変心・世界戦略-ロシアを
追い出し、極東の強国となった
日本への警戒から、
講和会議では、アメリカは、
アジアでの国際勢力の均衡を
謀るため、これ以上、ロシアを
追い詰めないように、裏で
ロシアに味方したのです。
また、現地ポーツマスで、
ロシア外相ウィッテは、
アメリカの新聞を味方に付けて、
ロシアの立場を宣伝、アメリカ
世論を、ロシアに好意的に
転換させました。)
https://ci.nii.ac.jp/els/contents110005050307.pdf?id=ART0008078563

経済恐慌に陥った2つ目は、
「朝鮮半島や台湾」を手に入れた
ための費用も負担になった。
また、抗日抵抗運動のための
軍事費をさらに充当している。
そのために
増税がなされて、
農民の暮らしは少しも
良くならなかった。

産業は、軍事産業と
重工業に重点が置かれていた。

そして、裏打ちの無い紙幣が
乱発されて,紙幣の信用が
なくなった。

このように眺めると
111年前の経済状況と
現在の状況がどことなく似ており
国債の乱発するところは
明治と似ているのです。

現在でも
「戦争経済」がすべての
諸悪の根源ではないでしょうか.

正しい政治経済へもどす革命でも
起こしたくなるような
現状です。

では、また。


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