「生々流転」:世界のルールは変化しつつある

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こんにちは、\ソウジャ です。/

現在の日本の政権は、戦後に
出来上がった政権の延長です。

つまり、GHQが戦後処理を含め
日本を統治するシステムが
現在まで、残っているという
ことです。

残存。です。

戦後、日本を占領統治するために
仕組んだモノの中で
「上下対立同一化」的に
「分断統治」のやり方が
統治に効果的であることから、、、

つまり、RSEL専用辞書にも
ある通り、
戦争経済を作り上げる
エージェント(ルールメイカー)
によって、左右の対立によって
生じた問題を、
抽象度を上げ解決する妥協案
という、ある種の大義名分を
もとに、亜空間の持つ記憶
(繰り返される過去)のシナリオに
基づく同一化
(新たなルール)を制定して、
支配しやすい戦後の戦争経済を
作り上げていくという
図式でした。

分断統治の方法は、
言論界、政界などで、
左派の人間は、つまり
進歩的文化人のラベルが貼られ
それを促進され、一方の
右派である保守は、
遅れた文化人として、差別する
という空気が社会的に
形成されてきたのです。

これは、最初、GHQが、
国粋主義に対して
分断統治の目的で、
共産主義者や社会主義者を
その理想主義に誘導してきました。

しかし、
昭和22年に全国で行われる
予定の「2.1ゼネスト」を前に、
人民広場と呼ばれるようになって
いた東京の皇居前広場は、
既に大集会が何度も開かれ、
予定の「2.1ゼネスト」が行われ
れば、 参加労組は全国で100万人
規模に達すると予想され、
その予定動員数の計画に
驚きを隠せなかったGHQは、
直前の1月31日に、、、
「現在の日本の困窮した事態に
おいて、かくも恐るべき
社会的武器は許さない。」
と大義名分を発令して、
スト全面中止を命じたのです。

共産主義勢力が国内の労働者階級を
扇動して国内で非ぬ革命に導かれる
ことを恐れて避けたのでしょうが、
これが、仇となりました。

それまで、共産・社会主義者の
組織である日本共産党など
米進駐軍に対しては、
「解放軍として規定する」とか
述べて、歓迎していましたが、
これがきっかけで、以降、
「GHQが裏切った」として、
反米に転じたと云われます。

また、対ソ冷戦の激化も相まって、
徐々に反共色を強めるGHQは、
昭和25(1950)年の6月6日に
吉田茂首相宛マッカーサー書簡で、
共産党幹部の公職追放を
指令しました。
http://www.ndl.go.jp/modern/img_l/M009/M009-001l.html
<和訳>
http://www.ndl.go.jp/modern/img_t/M009/M009-001txja.html
占領の目的である日本の民主化を
妨げる勢力として、共産党
中央委員24名の名前を挙げて、SCAPIN548
(ある種類の政党、協会、結社
その他の団体の廃止)並びに
550(好ましくない人物の
公職よりの除去)に基づく
公職追放を指令している。
この書簡は同日、
『官報』(第58号)で、
訳文と共に発表された。
以降、「レッドパージ」として
民間、官公庁へと広がって
いったのでした。

しかし、共産・社会主義者の組織は
依然として、残存している
では、ありませんか?

これは、今でも、
「上下対立同一化」的に
「分断統治」のやり方が
続いている証拠です。

与党 Vs 野党も
自民・公明 Vs 共産/民主、
右翼 Vs 左翼、、然り、、、

この対立構図によって
生じた課題・問題を、
抽象度を上げて解決する妥協案
という、ある種の
大義名分をもとに、
新たなルールを制定し、
支配しやすい
戦争経済をさらに作り上げていく
という支配構造に

我々も知らず知らずに
参加させられていませんか?

そうです。
何かを購入するだけで、
消費するだけで、
会社で働くだけで
戦争経済に参加しています。

・・・別に、消費を止めましょう
と言ってるのでは、ありません。

そんなの現実的に不可能です。

何を云いたいか?

戦争経済を作り出している
という、その大義名分をもとに、
作られる
「新たなルール」が造られる
変化を俯瞰しましょう!
ということです。

これは、為政者が何を
なそうとしているのか?

という覚醒した庶民の
「集合意識」が活性化する
ことになるのです。

民衆の一人ひとりが
「関係」しており、
共同体の覚醒集合意識として、
働くことが出来ると考えます。

良く云われたのが、明治の人らは
「胆力」があった。
という言葉を聞きます。

これは、下腹重心で
生きていたということでしょう。

その中でも、
明治元年に生誕し、
昭和の時代まで、活躍した
芸術家がいました。

一人は
「横山大観」です。

丁度、生誕150年という節目であり
あまりに有名な人ですが、
彼がどのような人なのかを
見てみましょう・・・

■「横山大観」(昭和29年 
茨城県製作)~懐かしの
モノクロ映像より
https://youtu.be/NTLQiNhrXMA

そして、上記の最後に出てきた
「板谷波山」ですが、
彼もまた、同じ茨城県で明治生まれ
であり、大観同様の東京美術学校の
彫刻科を卒業し、陶芸に命を掛けて
います。

■「板谷波山」(昭和29年 
茨城県製作)~懐かしの
モノクロ映像より
https://youtu.be/FoviJWDwB7E

さて、
いずれも「赤貧(せきひん)」
という厳しい暮らしの中で、
己を極めて、
「肚で叫んでいる何か」
を表現すべく
その声に耳を傾け、その方向に
情熱を傾けて、
一生を投じた人たちでした。

結果して、多くの芸術家や
時代の流れに影響を与えたのです。

さて、しかし、
横山大観の人生で、
最も大観らしからぬ時期が
あったのです。

それは、天来の自由闊達な
発想で、まさに
天才とも云うべき「描き」が
消えてしまった
瞬間でした。。。

その原因は・・・
https://youtu.be/HnKA12fgccw?t=1130
この時代は
特に国民の8割以上が、人間では
なく、「道具」に増々
同意した時期が続いたために、、、
数年後に
戦禍が起こってしまいました。

これも日本国民の集合意識が
そのように同調してしまった
結果だったのです。

まさに、亜空間の集合無意識に
人間が感化されて、同調し
戦争へ戦争へと
身も心も落ちていったのですね。

大観すらも無意識的に
亜空間に同意してしまっていた。
https://youtu.be/HnKA12fgccw?t=1273
それで、観るものに
「大観」の作品にして大観は
存在していない。
という印象を与えたのでしょう。

そして昭和20年8月14日に
大東亜戦争が終結となり、、
陛下より玉音を拝し奉ることに
なったわけです。

それから7年後、
「ある日の太平洋」
https://youtu.be/HnKA12fgccw?t=1405
波濤=波乱情勢、、では
あったが、
しかし、
やはり富士は承霊を保ったまま。

この作品で、
「大観が戻って来た」
・・・のでした。

それと晩年の作品
「風蕭蕭兮易水寒」は
司馬遷が著した
荊軻(けいか)の別れの図のはずが

それを見送るのが
「イヌ1匹」。

これは、大観自身が
老いさらばえた、後の姿は
もう、旅立って、この世にいない
ことを描いたのだろうか。

まさに、肉体の生に執着せずに
死の覚悟を描いたもので
あったのでしょう。。。

「大観」を例に挙げましたが、
やはり、
奇想天外の発想で
だれにも、真似できない
偉業をなし遂げるのは
このように、

肚のそこから響く声に
素直に情熱を傾ける
生き方が、あったからこそ
だと思うのであります。

まさに、「肚の底」からくる
響きに「ルール」というものは
無いのです。

あるのは俯瞰した「調和」だけ。

ルールを作り、そして
時を経るごとに変えているのは
地上の支配者であり、
「生々流転」で、地上における
ループを繰り返しています。

本来の人間は「生々流転」に
生きるのではなく
「生々流転」を俯瞰する
存在なのですから。
流転に惑わされては
ならないのです。

私達は「無意識」になって
「スキマ」をつくっては
なりません。

なぜならば、そのスキマに
魔が差してくることに
なるからです。

では、また。


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