「経済成長」以外、仕合わせのベクトルは、無い!?・・・嘘言うなよ。もう、辟易だ、疲れたよ。。。返せよ!、俺たちがつぎ込んだ「時間と労力と資源」

こんにちは、\Soujya です。/

古ーい観念、大昔から有った。
所得倍増
重厚長大
高度成長
滅私奉公


経済成長



これらは過ぎ去った古い四文字。

いまは、モウ「化石」と化し
たようです。

先のブログにも書いてあるように

どうも、日本は現在、
旧態依然として、
諸外国の
特に東アジアの新興国と比較する
と経済発展が停滞しているわけで
経済衰退のトレンドに
入った感じです。

万物流転するモノゴトには
黎明期 – 成長期 – 衰退期があり
現在の日本は

どう見ても「衰退期」ですよね。

メンタルに落ち込んで
途方に暮れている
場合ではなく、

この「衰退期」から
何を学ぶか?

現在、この苦しい状況で
何を学び、何を意識するかで

早く、衰退を終了させて

次の螺旋時空に向けて
新たなる「萌芽」が芽生えて
くるようです。

したがって
早く、この衰退を終了させる
ためには
「古い慣習や固定観念」を
捨てる必要があります。

そのための、学びと気付きが
必要です。

とりわけ
日本が歩んで来た歴史。
の事実を知って、
現在に至る経緯を俯瞰して
「何が、そのようにさせた」のか
誤った政治や戦争が
繰り返してきた
根底は何だったのか?

そして
学校で習ったのは
ほんとうにそうなのか?
または、学校で
あえて、避けて教えられなかった
歴史とは何か?

更にフォーカスすれば
「近現代史」なのです。

以下、五井野正氏
「法華経三部経体系」
(1981年10月12日発行)
より引用


■西欧思想の正当化=明治政府広報としての福沢諭吉「学問のススメ」

そうした 状態の中で明治五年に、福沢諭吉の「学問のススメ」が出たり、
西欧式の学制をひいたりして民衆の目を諸外国の方向に向けてゆくのです。
(「学問のススメ」はベストセラーとなって夙に有名であるが、その内容は政府の広報的な役割を帯びている事は否定し難い。

つまり彼が文化人だから政府に用いられたのではなく大蔵大臣である大隈重信と三菱の岩崎弥太郎との密接な関係は特に有名であり政界、財界にも首を突っ込んでいて常に支配者側としての政府広報の役割をしていて決して庶民的な文化人ではなかったのです。

彼が文明国と賛して模範としていたイギリスやフランスはその当時、アジアを次々と植民地化していて日本も実はその中に入っていたのです。

日本史では日本が植民地にされていたとは記さないし、それは古代においても現代においても常に自国の独立を保ってきたと説明され、現代の日本人は皆そう思っている。)

■西欧思想教育のための大学

又、文民官の高等教育として明治二年から大学の設立が行われたが、外国人の教師が多く、大学南校・大学東校を基礎にして明治十年に東京帝大が日本最初の総合大学として創立された。私立では福沢諭吉の慶応義塾(人文・社会科学)、キリスト教主義者の新島襄が同志社英学校を開いた。

創立当時の東京帝国大学の教授総数三十九人のうち約七○%の二七人が外国人である事から考えて、日本の将来を背負うほとんどの人が西欧教育の中で育つ訳です。

■自国通貨発行が許されず、国家予算6.3倍の借金に追われる

外人の政治や行政権への介入は、教育のみならず多方面にわたり、例えば大阪の造幣局が貨幣を鋳造する時にはイギリス人技術長の許可を必要とするなど、外国の許可なくして自国の通貨が発行出来ないなど欧米の影響を考えずして明治は語れない状態と言わざるを得ないのです。

こうした諸外国の支配の中で明治十二年には明治政府がかかえていた負債は二億五千万円とも言われ、その他に負債と同じ意味の不換紙幣が一億五千万円にものぼってしまったのです。これは当時の国家予算の六・三倍強にあたり、今の日本で言えば三百兆前後の金にあたる。

この財政危機の時に参議大隈重信はさらに外国からの借金を増大さえようとしたが、岩倉具視らの猛反対を受け、岩倉は借金する位なら四国か九州を売った方がまだよいと、雪ダルマ式借金財政を批判した。

この案に反対者がかなりいたのは、エジプトが二十五億フランにのぼる外国債の利子の支払いが出来なかった為に、フランス・イギリスに財政経済を一手に握られ、結局イギリスに支配された事や、西アジアに強大に構えていたトルコも外国債のつまづきによって列強の下に落ちてしまったり、アフリカ諸国でも同様な事がどんどん起きている事を政府要人や民権家もよく知っていたからである。

■略奪国家イギリスは、産業革命とアジア植民地化で売れるものが出来た

権力者達が物欲を望めば、それが金で解決出来るものならば必ずそこに資本主義商人の暗躍する世界が生まれ、そこに金力と権力が相互に絡み合う。

しかし、権力は制度から生まれ個人が所有出来るものではないが、金力は個人が所有出来る為、権力者が商人から金品を略奪しない限り権力者は常に金力によって憂き目に合う。

略奪文化とは、自らに何の産業も文化もない事を意味し、その観点で考えれば西欧は産業革命によって初めて文明化が起きたととれる。

産業革命と西欧のアジア植民地化によって初めて売る物が出て来たわけで、それを有利に売るには関税を自分達の有利な方向に持っていけば事済むのです。

■日本の植民地化

さて、植民地化とは今述べたような目的の為に、官民一体の商人(つまり国策会社の役員)を植民地化しようとする国の制度や法律に縛られる事なく又、利益や税金を取られる事なく、その国の重要な経済のポストに組み込む事を意味します。

日本は治外法権、関税の自主性をおさえられ、商社、流通、銀行といった経済の大動脈も押さえられ、教育や行政まで食い込まれその上多大な借金をして軍隊まで駐留させられた状態では中国よりもひどく、既に植民地化が完遂し次の段階に入るまでと言えます。

それがインドの様にイギリス直轄とならなかったのは、ロシアや欧米の互いの牽制の中にあった為にその諸外国の傀儡政権という形で政府があったからです。ここの処を、日本人として冷静な目(真理の目)で理解して欲しいのです。

つまり、欧米が天皇を中心とした政府を推したのは新政府の方が力があるからではなく、実権や実力を持った徳川幕府を解体して実権のない天皇を傀儡政権とした方が優利だったからです。

それ由、表向きは天皇を中心として諸藩の合議制をとる形をとっているが、実際はイギリスを中心とした欧米のリードで薩長に貸した金を取り返せる体制と見た方が歴史をすんなり理解出来るのです。

新政府が確立した決定的な事実は、幕府に金を貸したフランスが新政府にその肩替わりさせる事に成功した事にあると見れるんです。


そうですよ!

ずーっと、第二次大戦も茶番で
戦争に負けさせられましたが、
日本は何をやったか?

東アジアから大量の金や財宝を
かき集めていたんです。
もちろん裏で糸を引いていたのは
欧米と見ています。

ようするに、現在でも
植民地であり
「金づる」の日本なわけです。

そして、日本人の
「労力、時間」と「命(資源)」を
「金儲け」のために
無駄にさせたことは、重罪です!!!
これが、彼らの
金融資本主義ってことです。

そんな目線で
以下をご覧ください。。。

■018.6.11
「アベノミクスの功罪(2)」
大西つねきの週刊動画コラム
vol.30

では、また。


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■法華三部経大系―総論