【フェア党の主張】押し付け憲法論について

こんにちは、\Soujya です。/

私達は戦争経済、そして
経済戦争の渦中にいます。

なぜでしょう?

多くの市民や国民が「平和」を
望んでいるように思いますが、
なぜ、争いが起きるのか?

なぜ、戦争になってしまうのか?

今から、ほんの半世紀前に
戻ってみますと、
父母・祖父祖母の多くは
戦争経験者であり、
戦地へ行った人たちもいました。

日本が戦争に、負けたことで
得た反省と経験は
「平和」とは何かについて
学んだことでしょう。

そして、長い時間が経ち
「平和ボケ」とも云う、
戦争を知らない世代が
こんどは、親や初老の立場になり
この世代は、「平和」を
学ばなくなりました。
つまり、学ぶための起因である
「経験と懺悔」がありません。
ので、平和というものが
わからない人たちが多くなった
のだと思います。

そうすると、平和を希求する
熱い想いという、「熱気」という
熱(ほとぼり)が冷めた頃を
見計らって、
戦争経済を仕組んでいる支配者層
らは、今度は、また、
戦争する国家づくりに向けて
準備を行い
また、世界的な大戦争へと
多くの国民を向かわせようと
しているのです。

もう、そろそろ、今の地球歴史
を振返って、バカさ加減が
見えてきませんか?

「破壊・崩壊と復旧・復興」の
繰り返しです。

壊して、作る。

もう少し詳しく云うと
「まだ、充分使えるのに、壊す」
のです。

この意味には、
強制的に壊す

そして、壊すのは殺すことも
含めて、破壊する
ということです。

そのような無限的な繰り返しで
これまでも、今後も
続けようとしている
分離分断と上下対立、同一化
した統治世界の方向性を
志向するマトリックスに
私達は住んでいる。
という訳です。

なので、この地球の人間世界は
マトリックスであり
不自然な出来事で
いっぱいですよね。

・突然な死
・突然な破壊
・突然な事故

これらの原因の殆どは
マトリックスの世界でしか
起こらない。

「恒久平和」は
マトリックスの支配者にとっては
邪魔以外の何物でもない

というのが、答えです。

その意味で、
下記のフェア党が主張する
安全保障と憲法について
述べています。。。

2015・6年当時の記事なので
今は、アメリカ大統領はトランプ
になってますので、その辺は
時間軸を過去に戻して、
お読みくださいませ。
(長いのでよろしく願います)
お読みになるのが
面倒な方は、音声もありますので
コチラでどうぞ(約30分)
↓ ↓ ↓

<引用開始>_________

(本題に入る前に)。。。。。。
【TPPの本質】
(以下、Soujyaが一部、現状に
置き換えております)

TPPの本質は、下記の主要国の
対外純資産の数字と日米関係を
考えればわかります。
日本は世界一の対外資産を持ち、
アメリカは世界一の対外負債を
負っています。その金額、
2017年末時点で実に885兆円
(実際はドルで8兆ドル)と
途方もないものです。<参考:主要国対外純資産>
日本 328兆4,470億円(H29年末)
ドイツ 261兆1,848億円(〃)
中国 204兆8,135億円(〃)
香港 157兆3,962億円(〃)
ノルウェー 100兆3,818億円(〃)

カナダ  35兆9,305億円(〃)
ロシア  30兆2,309億円(〃)
イタリア▲15兆5,271億円(〃)
英国▲39兆6,540億円(〃)
フランス▲62兆4,674億円(〃)
アメリカ合衆国
▲885兆7,919億円(〃)
_______________
通常の国であれば、こんなことは
起こりえません。その前に
とっくに破綻しているからです。
唯一アメリカだけが破綻しない
のは、ドルが世界の決済通貨で、
それを自国で発行できるから
です。
そして、多くの国が、
黒字として稼いだドルを外貨準備
として持ち、それを貸す形で
米国債などを持っているから
です。
もちろん、その筆頭は日本です。
日本だけで1兆ドルほどの米国債
を持っていますから。
しかし、それももう
限界でしょう。2013年末の
アメリカの対外債務は
482兆円
(実際はドルで4.6兆ドル)
でした。それが一年で1.5倍
以上。今までの貿易、資本ルール
の中でこの結果ですから、
あとはルールを変えたり、
あらゆる手を使って他国から富を
奪い返すしかないのです。
特にそのターゲットとなるのは、
世界で最も多く対外資産を持ち、
アメリカに貸し、かつ従順な国、
日本です。単純な話、日本の富を
全て収奪すれば赤字は半分になる
わけですから。TPPの本質とは
そういうことだと理解すべき
でしょう。日本にとってTPPは
重要ではありません。何故なら、
すでに国家経営の根本的な過ちで
説明した通り、黒字を稼ぎ過ぎた
のが問題で、これ以上輸出を
増やしても同じ轍を踏むだけ
なのですから。
。。。。。。。。。。。。。。。

(ここから、本題です)

【押し付け憲法論について】

現行憲法を総司令部による
押し付け憲法であることを
理由に、改正の必要性を説く人が
います。
憲法というのはその国の国民が
自律的に定めるというのが
原則だからです。しかし、
施行後にも改正の機会があった
のにも関わらず、当時の政府は
必要なしとしたこと、
その後70年という歳月が経ち、
硬性憲法とは言え、
一度の改正もしなかったことから
考えて、押し付け憲法だから
変えるというのは、もはや
根拠とするには時間が
経ちすぎています。むしろ今は、
経緯云々よりも、
そこに書かれている内容
そのものに改正が必要か、
必要ならば何故必要で、
それをどう変えるかという
中身の議論をすべき時です。

中身に関して言えば、
逆説的ですが、現行憲法は
「押し付け憲法」だったからこそ
、良かったと言える側面も
否定できません。
あれほど個人の人権を本来的な
ものとし、それを人類普遍の原理
とまで言い切った憲法が当時の
日本人に書けたかと言うと、
甚だ疑問です。今の自民党の
改正案が、
十三条の
「すべての国民は、
個人として尊重される」
から「個」の一文字を
取ろうとしていること、
そして九十七条の基本的人権の
普遍性を謳った条文を
丸ごと削除しようとしている
ことから推察して、
今もその力がなく
(少なくとも今の与党には)、
むしろ人間の本質に関する根本的
な洞察すら欠けているように
思えます。
元々日本社会には、
そのように暗に同調を求め、
個人の自立よりも調和を重んじる
傾向があり、それが
異論を封じ込め、
先の戦争の戦禍を拡大した
可能性は否めません。
だからこそ、
その反省の下に、二度とそれを
繰り返さないための憲法が
必要だったのであり、
外圧でそれを押し付けられた
からこそ、それが実現した
とも言えます。
その証拠に、今だにその同調圧力
を憲法に書き込もうという
政権が亡霊のように姿を
現します。今の日本人により良い
憲法を書けないとは言いませんが
、少なくともそれができる政権を
作るまでは、どうしても改正が
必要な部分に絞って、慎重な
議論を進めるべきです。

憲法前文の重要性
現在の日本国憲法の前文には、
この憲法が何のためにあるか、
その存在意義が明確に書かれて
います。一読すれば、
それが
「いかなることがあろうと」
二度と戦争を繰り返さないために
作られた憲法だというのが
わかります。
仮にそれが連合国側の意図を
反映したものだとしても、
その理念が長らく日本国民に
受け入れられ、支持されてきた
ことは、一度の改正もなかった
という事実からも否めません。
それを憲法改正アレルギー
などと言う人もいますが、
むしろそのアレルギーの元が、
今だ癒えぬ戦争の痛み、
時の政府に裏切られたという思い
、そこから連綿と続く
根深い政治不信が織りなす
国民感情であることを理解すれば
、それが単なるアレルギー
ではなく、
とても本質的で譲れない真髄で
あることがわかります。
ですから、それは私たち
個人の独立を
政府から守るための砦であり、
その意義を宣言する前文は
礎です。
その前文を丸ごと削除しようと
する自民党改正案は、
それを土台から崩そうとしている
としか思えません。
それが正に意図なのかも
しれませんが、
フェア党の理念は180度
違います。
個人の心の自由ほど
大事なものはない
(国家の存続よりも遥かに重要で
、個人の心の自由なき国家など
存在する意味がない)
との考えの下、
現在の憲法の前文を全面的に
支持します。
そして、そこに改めて魂を
入れ直し、この世に具現化する
政治を目指します。
何故ならそこには、正に
書かれている通り、人類普遍の
真理があると確信するからです。
もちろん、これを本気で具現化
するのは茨の道です。ただ単に
憲法を保持すれば良いという
話ではなく、それを言行一致の
憲法にするためには、行動を
改める必要があるからです。
ですから、私たち一人一人が
本気になり、その苦難を
受け入れる覚悟が必要です。
魂を入れ直すということは
そういうことです。皆さんが
どう思われるか、以下に
引用しますので各自ご判断
ください。そして、それを
言葉通り、本気で実現しようと
するフェア党を支持するか
どうかも。

日本国憲法前文

日本国民は、正当に選挙された
国会における代表者を通じて
行動し、われらとわれらの子孫の
ために、諸国民との協和による
成果と、わが国全土にわたつて
自由のもたらす恵沢を確保し、
政府の行為によつて再び戦争の
惨禍が起ることのないやうにする
ことを決意し、ここに主権が
国民に存することを宣言し、
この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な
信託によるものであつて、
その権威は国民に由来し、
その権力は国民の代表者が
これを行使し、その福利は
国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、
この憲法は、かかる原理に
基くものである。われらは、
これに反する一切の憲法、
法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し
、人間相互の関係を支配する
崇高な理想を深く自覚するので
あつて、平和を愛する諸国民の
公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持
しようと決意した。
われらは、平和を維持し、
専制と隷従、圧迫と偏狭を
地上から永遠に除去しようと
努めてゐる国際社会において
名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、
ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに生存する権利を
有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、
自国のことのみに専念して他国を
無視してはならないのであつて、
政治道徳の法則は、普遍的な
ものであり、この法則に
従ふことは、自国の主権を維持し
、他国と対等関係に立たうとする
各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、
全力をあげてこの崇高な理想と
目的を達成することを誓ふ。

憲法改正について

フェア党は憲法改正については
反対しません。
私たちの憲法ですから、必要に
応じて変えれば良いのです。
しかし、現行憲法に関して、
特に改正に急を要するような
箇所は認められません。
細かい箇所は
多少あるかもしれませんが、
それはじっくり議論して行けば
良いでしょう。
その他、例えば財政を規定した
第七章にも、フェア党が主張する
政府紙幣の発行による財政の
抜本改革と相反する条文は
認められませんし、土地の公有化
に関しても、第二十九条の財産権
の条文に反することはないと
思われます。何故なら、
その第二項で、財産権の内容は
「公共の福祉」に適合するように
法律でこれを定めるとあり、
さらに第三項で、私有財産は、
正当な補償の下に、これを公共の
ために用いることができる、と
あるからです。
フェア党の土地公有化政策は、
もちろん公共に福祉に適合する
ためのものであり、政府がその
買い取りを保証することから
鑑みて、憲法の規定内と言える
でしょう。それよりもやはり、
我々が憂慮しなければならない
のは第二章、戦争の放棄にある
第九条、これが明らかに
言行不一致であるという点です。

第九条の解釈問題について

第九条は本来、解釈の余地は
ありません。憲法前文を読み、
そして、わざわざ
「第二章、戦争の放棄」として
別章仕立てにした第九条を読めば
、その意図は明らかです。
いかなる場合でも、日本に
二度と戦争をさせないための
条文です。自衛のための戦争は
放棄していないとするのも
詭弁です。
そもそも第二項に戦力を持たない
と明記してあるということは、
自衛のための戦争すら
できないように
するためですから。
そこに連合国側の意図があった
ことは明らかでしょう。
しかし、条文は条文です。
そこに明文化されていることを
解釈で変える必要があるなら、
憲法を改正するのが筋です。
自衛隊はその意味では
違憲であり、憲法との齟齬は
否めません。そして、
2016年に施行した安保関連法制
も勿論違憲法制です。
これは日本の安全保障上必要か
どうかという
議論以前の問題です。
憲法を解釈で捻じ曲げるという
ことは、社会契約論で言うところ
の市民と国家の契約を変質させる
ことであり、正当な手続きを
踏まずにそうすれば、
国家そのものの正当性が
破壊されます。
そうなれば、国民と国家の
関係性自体が成立しなくなる、
つまり守るべき国民も国家も
ないわけで、だから
安全保障以前の問題なのです。

しかし、私たちがここで
認識しなければならないのは、
憲法の破壊は安保関連法制で
始まったことではなく、
自衛隊を持ちながらも、
それが自衛のためであり、
必要最小限であるから第二項には
違反しないという独自の解釈を
したことから始まっています。
客観的に見れば、誰がどう見ても
軍隊であり、海外から見れば
不思議な論理でしょう。
事実として、そこには世界最強の
軍隊と、世界第6位相当の軍隊が
いるわけですから。つまり、
現実はすでに憲法から乖離して
おり、安保関連法制は程度問題に
過ぎません。
100km制限の道を120kmで
走れば良いが、150kmはダメだ
と言うのに似ています。
120kmや150kmで走る必要が
あるのなら、そのように改正する
べきですし、そうでなければ
減速する必要があります。
立憲主義を標榜するなら、
まずはその覚悟を決めること。
その上で安全保障を考えれば、
憲法をどうすべきかは自ずと
決まります。

日本の独立を考える

安全保障をどう考えるか以前に、
我々が真剣に考えなければ
いけないことは、
独立するか否かです。
残念ながら今の日本は、
独立国とは言いがたい状態です。
憲法からして、そもそも
総司令部の意向が強く反映された
ものです。
ただ、それは敗戦の経緯があり、
それを多くの日本人が受け入れ、
一度も改正しようとしなかった
ことからして、消極的ながら
我々のものになったと
言えるでしょう。しかし、
今度はそれに反する形で
警察予備隊を作らされ、
日米安全保障条約の締結、
自衛隊の組織、そして
今回の集団的自衛権行使容認と、
全て米軍の補完のために
行われています。
主体性は一体どこに
あるのでしょう?
国内の要所に米軍基地があり、
首都圏の制空権さえ
握られています。
今は同盟国かもしれませんが、
元は日本を対ソ連、中国の
反共最前線にするための
戦略です。
いつしか日米関係が良い意味で
変質するにしたがって、米軍が
日本を守ってくれているという
錯覚が生まれていますが、
占領軍が居ついた事実は
変わりません。
そして、あくまでも
アメリカ合衆国は自国の国益の
ために行動し、日本のために
行動するわけではないのです。
当たり前のことですが、
他国なのですから。
そしてその他国の軍隊を国内に
置き、安全保障もその傘の下に
頼りきっているということの
意味を、我々はよく
考えるべきです。
安全保障政策だけではなく、
経済政策、金融政策、原発政策
まで完全な独立性を確保
できていません。
それを是とするか非とするか。
これは正解/不正解の問題では
ありません。選択の問題です。
それでも良いと大多数の日本人が
考えれば、それも一つの
選択です。
そうでないとするなら、
別の選択肢があります。
いずれにしても、絶対的な正しさ
などないのです。
それによって戦争に突入したから
、何人死んだから、
生き残ったから良い悪いではなく
、常に選ばなかった選択肢の結果
は想像でしかなく、
後は生き方、死に方の問題で
しかないのです。
ただ一つだけ言えるのは、
安全保障を他国に握られたままで
あれば、その先のあらゆる局面で
、選択肢は非常に限られてくる
ということです。もしあなたが
この先の人生、誰かの庇護の下に
生き、死ぬ心配はあまりしなくて
良いかもしれないが、ほとんど
自分で主体的に選ぶことは
できないとしたら、
どう思いますか?
覚悟を持って庇護から
飛び出すのか、
そのまま安全(とは限らない)を
選択するのか?
戦後70年経った今、
日本はそろそろ真剣に
自主独立について
考えるべきです。

今が自主独立のチャンス
日本がもし本気で自主独立を
考えるなら、
今がそのチャンスです。
日米関係は良い意味で変質して
来ました。もはや、日本を敵国だ
と思うアメリカ人はほとんど
いませんし、日本人もそうです。
これは長きにわたる友好関係の
結果です。
特に国益がぶつかり合う政府同士
の関係性というよりも、民間に
おける個人間の無数の膨大な
交流がそれを作って来たのです。
今なら、正当な主張をすれば
受け入れられる素地ができて
います。
相手は自由と独立の国です。
我々日本人が誇りを持って
自主独立を主張すれば、
彼らの信条として、聞かざるを
得ないのがアメリカ合衆国です。
そこが彼らの一番素晴らしい
ところです。ですから、
日米安全保障条約、地位協定の
見直し、米軍の撤退も本気で
主張すれば通ります。問題は、
我々日本人にその覚悟があるか
どうかです。こればかりは
誰も、誰にもそれを強制
できませんし、
全員一致ということもあり得ない
でしょう。
今までずっと在日米軍と自衛隊に
丸投げしていたリスクを、
命がけで自分たちが取ること
になるのですから。
それで大丈夫かどうかなど、
誰にも保障できませんし、
それをできない政治家を無責任と
責めることもできません。
決断の責任は政治家ではなく、
それを選ぶ我々にあるからです。
ですから結局、私たちは、
私たちが選ぶ政治家も含め、
そんなつもりも覚悟もなかったと
いうことでしょう。
しかし、時代は今、大きく変わり
始めています。そのつもりも覚悟
もなくても、そのままでは
いられなくなるかもしれません。

まず、仮に日本がこのまま
現状維持を望んでいても、
その代償はどんどん高くなって
いるということです。
集団的自衛権行使容認や
TPPはその代償の一つと
考えるのが妥当でしょう。
これらに対して怒る人も少なく
ありませんが、突き詰めると、
安全保障という命に関わる部分を
握られているから
言いなりなのです。
アメリカも当然国益を考えて動く
わけですから、「TPPの本質」で
説明した通り、膨大な対外純債務
をいかに減らすか、それには
いかに世界戦略を安く済ませるか
、場合によってはプレゼンスを
低下させてもそうする、という
ように、アメリカの政策も大きく
変化する中で、もはや現状維持は
現状維持ではなく、プライスも
リスクも上がり続けるということ
です。その中で、我々はどこまで
その言いなりになるか。

もう一つは、すでに見えている
アメリカの政策の変化のみならず
、アメリカの国内政治に大きな
変化の胎動が始まっているという
ことです。
それはバーニー・サンダース氏や
ドナルド・トランプ氏の台頭に
象徴される、既存政治や権力階級
への強烈なアンチテーゼです。
その背景にあるものは、巨大企業
が利益を上げ続けるための
世界戦略を、政界がその傀儡と
して押し進める一方、多くの一般
市民たちが搾取され続けるという
実態です。特にサンダース氏は
明確にお金に買われた民主主義を
糾弾し、それが今や大統領選の
一番の焦点となっています。彼は
TPPにも反対し、イラク戦争にも
反対していました。この流れは、
仮にクリントン氏が大統領に
なったとしても止められないで
しょう。それが人々の声だから
です。そしていつの間にか、
日本が追従していたはずの
アメリカ合衆国が違う国になって
行きます。その時、日本はどこを
向いて何をしているでしょう?
他国に追従して、主体性を失う
ことが、本当に私たちの命を守る
でしょうか?戦争で死ななくても
、たくさんの人たちが経済的に
殺されていては同じことでは
ないでしょうか?そもそも、
命を長らえることだけが、
生きることでしょうか?私たちは
もう一度真剣に考える必要が
あります。

国家の安全保障とは

国家の安全保障は、国土の保全と
国民の命を守ることと言います。
多くの場合、それは軍事的に
語られますが、実際はもっと複雑
で多面的、そしてその成否は評価
しがたいものです。例えば、軍事
、外交的な保障と引き換えに経済
的に他国に搾取され、多くの経済
的な自殺者を出したとすれば、
それは命を守っていることになる
のかどうか。国土を軍事的に侵略
されるのと、合法的に他国に土地
や企業の株、国債を買収される
のと、どちらがどれだけ
危険なのか。原発政策を主体的に
決められないことによって、
どれだけの命や健康を危険に
さらすのか。それも日本人だけで
はなく、世界中の人々やあらゆる
生物の。市場開放や為替政策に
よって食糧やエネルギーの自給率
が低下することによって、将来
どれだけの命を危険にさらすか。
つまり、国家の安全保障政策と
いうのは、軍事や外交だけに
留まらず、あらゆる経済、金融、
産業、通商政策を含むということ
です。ですから、それらを総合的
に考えなければ、国家の安全保障
政策としては不十分です。しかし
、そうしてもなお、その成否判断
も難しいというのは、常に
選ばなかった政策の結果は
想像でしかなく、実際に選んだ
政策の歴史的な評価を修正しよう
とする試みも
少なくないからです。
300万人の命を奪った先の戦争で
さえ、過ちと認めたくない人が
います。他にどんな選択肢が
あったか、それを選んでいれば
どうなっていたか。確かに誰にも
わかりません。そして究極的に
言えば、どんな政策を取ろうと
(少子化などで)滅ぶ運命なのか
もしれません、つまり、極論を
言えば、確実なことなど何もなく
、唯一確かなことは我々は皆、
いずれ死ぬということだけです。
その真実とあの戦争の悲惨さの
中、我々が掴みとった真理が、
自衛のためですら二度と戦わない
という「戦争放棄」だった
のではないでしょうか?それを、
戦争の本当の悲惨さを知らない
世代が、安全保障の名の下に
軍事面だけに焦点を当て、
破壊しようとしているように
見えます。

当たり前の話ですが、戦争という
ものは大抵、それ以外の全ての
政策交渉、外交交渉が失敗した後
に起きます。必ずしも軍事力が
ないから起きるわけでも、
あるから起きないわけでもない
のです。その意味で言えば、
日本の安全保障は、現行憲法を
忠実に守ったとしても、戦争と
いう最後の手段を放棄している
だけで、それ以外の手段は全て
揃っています。にも関わらず、
主体性を放棄することによって、
それらをフル活用できていない
とすれば、その最後の手段を
放棄したままでも、安全を格段に
高めることは可能です。そして、
結局は覚悟の問題なのです。誰も
その先の未来は読めません。
ですから、何が正解かではなく、
どうあるべきか。もっと端的に
言えば、いずれ必ず終わる生を、
どう生きて、どう死ぬか。
武士道と云うは死ぬことと
見つけたり、という言葉が
あります。死ぬ覚悟さえあれば、
いつでも正しい道をを歩める
という意味です。逆に言えば、
死を避けんがために、道を誤る
なということです。
そして、先人は先の戦争で
膨大な血と涙を流した末に、
戦争放棄という道を遺して
くれました。
それが、国の存亡を賭けて戦った
人たちの結論であるとすれば、
戦争を知らない我々が、いくら
国家の安全保障のためと言っても
説得力はありません。そんな道は
とても怖くて歩けない、そう思う
人も多いかもしれません。
しかし、批判を恐れずハッキリ
言えば、我々はもう、
どの道も歩く覚悟はないのです。
国家の安全保障や軍備について
勇ましく言う人も、
大抵は他人事でしか
考えていません。
自衛隊や米軍に頼りきりで、
自分や自分の家族が戦うとは
考えていないのです。
国のために戦うかという
世論調査をすれば、
その覚悟がある人は一割しか
いません。
そもそも、自分で自分の国の
ために戦う意志のない人たちが、
軍事力による安全保障を語ること
に何の意味があるのでしょう?

死中に活を求める
しかし、物は考えようです。
日本人がそこまで戦いたくない
なら、本当に戦わないと決めて
しまえば良いのです。そのための
憲法もすでにあります。
後は覚悟を決めるだけです。
あり得ないと言う人も
多いでしょう。
もし北朝鮮や中国が攻めてきたら
どうするんだ、などと言う人も
います。
あなたはどうするんですか?
と一人一人に聞けば、国のために
戦う人が一割しかいない、
それがこの国です。
誰を責めるわけでもなく、
誰が悪いわけでもなく、
それが大多数の日本人である
という現実です。
であれば、現実を踏まえた政策を
取るのが現実的です。国も人も、
こうあるべきとか、
こうでなければならないという
のはないのです。
それが人の生き方、死に方であり
、国も人の集まりですから、
その人々のあり方を反映します。
今までは、どうしても戦いたく
ない人たちが消極的に戦いを
避けるあまり、主体性を放棄し、
返って多面的な安全保障の各面で
リスクを抱え、結局総合的、
長期的にそれを脅かされかねない
状況を生んでいたわけです。
であれば、敢えて死中に活を
求める。すなわち、自主独立を
果たし、主体性を取り戻し、戦争
以外の全ての手段を総動員して
生き抜く、または最悪死ぬ覚悟を
決めたらどうでしょう?

こんなことを言うと、
そんな恐ろしいこととか、
大丈夫かとか、無責任とか
言われるかもしれません。
大丈夫かどうかは誰にも
わかりませんし、恐れも責任も
私たち一人一人の中にあります。
誰に押し付けるわけにもいかない
のです。そして、絶対的な正解も
ありません。民主主義国家として
できる唯一のことは、それでも
一人一人が自分で考えて結論を
出し、多数を計ること。
それで世論調査にある通り、
多数の日本人が国のために戦う
気がないなら、
それが我々なのです。
大事なことは、結果の如何に
関わらず、その決断に誇りと
責任を持つこと。それが自立した
民主主義国家の矜持です。
主体性を失って思考停止した
ままでは、それは得られません。
しかし、曲がりなりにもそれが
同朋の多数が自ら出した決断だと
覚悟すれば、そしてそれが人類
普遍の真理に基づく決断であれば
、我々は与えられた生を悔いなく
生き抜くことができるのでは
ないでしょうか。日本国憲法の
前文は正に、人類普遍の真理を
謳ったものです。
そして、それを命がけで
実践しようとする人々の存在は、
必ず世界に希望を与え、
世界平和の扉を開くでしょう。
世界を変えるのは、
クレージーなことを本気で
信じられるクレージーな
人たちなのです。

日本の進むべき道

さて、ここからは現実の政治の
話です。
大きな方向性としては、
まずは日米関係の抜本的な
見直し。
より具体的には、
日米安全保障条約、
日米地位協定、日米原子力協定の
包括的な見直しが必要です。
これは必ずしも破棄を前提とする
わけではなく、もちろん日米関係
を疎遠にするためでも
ありません。むしろ、戦後70年で
築いてきた友好関係をベースに、
日本のあらゆる分野での政策立案
、実行の自主性を確保するための
見直しです。ただし、そのために
は破棄も辞さない覚悟がないと、
まともな交渉はできません。特に
、米軍の日本からの完全撤退を
目指す覚悟がないと、いつまでも
命綱を握られたまま従属的に
ならざるを得ないからです。
そして、2017年に誕生する
アメリカの新政権次第では、
その代償はさらに高まる可能性が
あります。例えば共和党の指名
候補に決まったトランプ氏は、
在日米軍の全額負担を示唆して
います。また、サンダース氏が
大統領になれば、アメリカの
世界戦略そのものが変化し、
世界中からの米軍撤退を進める
かもしれません。いずれにしても
、日本にその覚悟がなければ、
ただ単に振り回され、とても高い
代償を払わされるか、突然放り
出されることになりかねません。
主体性がないとは、
そういうことです。ですから
日本はまず、自らアメリカからの
独立を果たすべきなのです。

では、米軍撤退後の安全保障を
どう考えるか?基本的には自衛隊
による国防ということになります
が、ここで問題になるのは憲法と
の整合性です。戦力を持たない
とする九条との齟齬があります
ので、
1.憲法を改正して自衛隊を
軍隊として認める、か、
2.自衛隊を解体して、文字通り
「平和を愛する諸国民の公正と
信義に信頼して、われらの安全と
生存を保持」しようとするか。
論理的にすっきりさせるなら、
そのどちらかしかありません。
しかし、いずれも選びたくない人
のために、第三の提案が
あります。それは、
自衛隊を専守防衛の国内軍と
定義づけ、従前の個別的自衛権
のみ認めるという解釈を継続
しながら
「期限を定めて
段階的に解体する」こと。
これは例えるなら、
100km制限の道で120kmで
走っている「違反車」が、
急ブレーキを踏むのではなく、
期限を定めて100kmに減速する
という案です。期限を定める
というのが重要で、その決意が
なければ1の方法を取るしか
ありません。そうしなければ
憲法が死にます。
しかし、この第三の案なら、
何とか立憲主義の範囲内で、
我々の憲法にもう一度魂を入れ
直し、その理念を実践する道筋を
描くことができるのでは
ないでしょうか。もちろんそれは
楽な道ではなく、命がけの茨の道
です。しかし、それを敢えて選択
するかどうか、我々一人一人が
自分で考えて決めるべき
問題です。生き方、死に方に正解
、不正解はないのです。
ただ、何を選択するか。
何のために?普遍の真理のために
生きること、死ぬことは、
命の使い方としては上等なのでは
ないでしょうか。
<引用終わり>________

では、また。