肝っ玉おやじの凄みがたまんねぇーよ:ミヒャエル・ハネケ監督の世界(傍観者効果の心理学考)

こんにちは、\Soujya です。/

まずは、この動画を
見ていただきましょう。
 ↓

そういえば、、、
昭和時代の
都会のどこかで、このような光景を
見たことがある方がいる
かもしれません。
下町かもしれません。
地方都市かもしれません。
肚のすわったオヤジとか
硬派の体育会系の学生がどこにも
いたように思います。

なので、チンピラは、公衆の面前で
ワルさをしようものなら
オヤジたちが寄ってきました。

公衆ではワルができないように
なっていた。。。

ところで、この映像…
タネを明かせば、
映画作品の1シーンでした。

ミヒャエル・ハネケ監督の
CODE INCONNU: RÉCIT INCOMPLET DE DIVERS VOYAGES
(直訳:不明なコード:さまざまな旅行の不完全なアカウント)
という作品になります。

この映像のように
多くの乗客が「傍観」を決め込んで
いる心理の原因とは何か?

この作品を通して
評論をお書きになっている
「人生論的映画評論・続」という
ブログから
引用紹介します。
http://zilgz.blogspot.jp/2014/05/blog-post.html
<引用開始>__________
1  人間洞察力の凄みを見せる
ハネケ映画の真骨頂
一人の女がいる。
 女の名はアンヌ。
多忙を極める女優である。
女優業で多忙を極めているアンヌが、
アラブ系の二人の移民の若者に
絡まれる恐怖体験についてのシーンがある。

車両の一番端に座っているアンヌに
、この二人の若者は執拗に絡んで
きた。

「トップモデルだろ?
こんな地下鉄に乗ってるなんて。
ところでお嬢さん、
チンピラと話す?
社交界の超美人だろ。反応ねえな。
美人で横柄なんで疲れるんだろう」

二人の中でリーダーらしい男が、
そんな厭味を言いながら、アンヌの
隣りの席に坐り込んでいく。

心中で騒ぐ恐怖感を、できるだけ
表情に出さないように努めていた
アンヌは、彼らを無視するように
して、車両の反対方向の端の席に
座った。

ところが、その男は他の婦人を
からかいながら、
「可愛いアラブが愛を求めている。
他の車両に移る?
俺が臭うからか?」などと言って、
アンヌの座席の横につけてきた。

「俺が臭うからか?」という
言辞には、明らかに、自分がいつも
嘲罵(ちょうば)を浴びせられて
いることの憤怒の感情が張り付いて
いるのだろう。

普段から溜め込んでいたストレスを
吐き出す男が支配する車両には、
多くのフランス人や移民たちが席を
埋めているが、このような時に、
いつもそうであるように、自分に
矛先を向けられないようにして、
彼らは無言の状態を続けている。

一瞥して、
男との距離を確認する人々。

車両内には、アルピニスト風の
若くて大柄な青年もいるが、無論、
彼は何もしない。

できないのだ。

この状況で重要なのは、相手が複数
であるという事実である。

複数を相手に喧嘩するリスクを
考えれば、ただ、見て見ぬ振りを
して、事態を遣り過ごすしか
ないだろう。

いや、相手が複数であろうと単数で
あろうと、それが、普通の人間の
普通の反応であるからだ。

相対的に豊かになり、限りなく
自由の幅を広げ、私権が拡大的に
定着するような社会になれば、
大抵、どこの国でも価値観が
相対化し、
「他者の不幸」に目を瞑る現象が
一般化するのである。

それは、人の心が「荒涼化」し、
「優しさ」を失ったことを
意味しないのだ。

本質的なことを言えば、この類いの
現象は、
「他者の不幸」=「自分の不幸」
という、共同体社会の縛り
(倫理感覚)が希薄になったことの
必然的現象であり、寧ろ、
人の心は、より繊細になり、
それ故に、かつて平気で無視して
きたような末梢的な「事件」に
対して、
過剰に「体感治安」が敏感に
なっていくというのが正解である。

思えば我が国で、2014年1月に
起こった「川崎容疑者逃走事件」

(集団強姦などの容疑で逮捕された
男が、検察庁から逃走した事件)の
ように、連日、「劇場型報道」の
様相を呈することで、近隣住民が
異常に怯える現象を引き起こしたが
、これは、確率論的に言えば、
「自分の不幸」に繋がる危険性が
極端に低いにも拘わらず、人の心が
必要以上に反応してしまう事例の
典型であると言っていい。

人の心が「優しさ」を失った時代
という決めつけが、如何に乱暴な
議論であるか、
既に自明の理である。

―― アンヌをヒロインにする
物語を追っていこう。

車両内の乗客らが驚嘆する事件が
惹起した。

再び、アンヌの隣りの席に無言で
座っていたチンピラは、次の駅で
止まった瞬間、いきなりアンナの
顔に唾を吐いて、
下車しようとしたのだ。

その時、一人のアラブ系の初老の
男性が、チンピラの背後を足で
蹴飛ばした。

一部始終を聞いていたこの初老の
男性は、アンヌが通路を隔てた
自分の横の席に座ったことで、
黙って見過ごすことが
できなかったのだろう。

彼は、自分の眼鏡をアンヌに
預かってもらった上で、
ゆくり立ち上がり、チンピラに
「恥を知れ!」と一喝した
のである。(冒頭の画像)

アラブ人としての誇りを逆撫でする
、この一喝に本気度を感じたのか、
「何をしやがる!」と言うだけで、
下車できなかったそのチンピラは、
再び、アンヌの傍らに立って、
何もできずに次の駅まで
待っていた。

チンピラが何もできなかったのは、
相手が同じアラブ系であったから
というよりも、一喝する前の初老の
男性の落ち着き払った行動にある。

下車できなかったチンピラの前に
ゆくり立ち上がった初老の男性が、
眼鏡を外し、それを傍らのアンヌに
渡す行為は、その直後の一喝に
繋がることで、チンピラの攻撃性を
削り取ってしまったのである。

この辺りの人間洞察力の凄みを見せる
映像提示こそ、ハネケ映画の真骨頂である。

初老の男性が落ち着き払って眼鏡を
外した瞬間に、もう、〈状況〉を
支配する者の決定的変換が成就して
いるのだ。

この予想だにしない出来事の後の
沈黙は、完全に澱んだ空気を
支配した初老の男性の、
その圧倒的な存在感の大きさを
際立たせる効果が
生み出したものだった。

電車が駅に着いた瞬間、降車際に、
そのチンピラは、
「覚悟しておけ、また会おうぜ」と
捨て台詞を残した直後、
突然、「ワッ!」と大声を上げて、
車両内に座っている乗客たちの
度肝を脱ぎ、笑いながら
下車していった。

 「覚悟しておけ」という
捨て台詞が、チンピラの敗北宣言で
あるのは言うまでもない。

一方、初老の男性に救われた
アンヌは、初老の男性に
「ありがとう」と言うのがやっとで
、すすり泣くだけだった。

 私は、この何気ないシーンに
驚嘆させられた。

 アンヌを演じた名女優・
ジュリエット・ビノシュの演技力が
、「プロの女優」として圧巻だった
のは織り込み済みだが、それ以上に
、「描写のリアリズム」を完璧に
表現し切ったハネケ監督の演出力に
感嘆したのである。

このような異常な事態に遭遇した
二人、即ち、初老の男性とアンヌと
の間に全く会話がないのだ。

元々、見知らぬ他人であっても、
異常な事態に関与した者同士が会話
を繋ぐのが自然であると考えるのは
、邦画やハリウッドの限定的世界で
あると言っていい。

こんなとき、不自然な会話を繋げな
いのが、人間の心理の自然の発露で
あるだろう。

なぜなら、アンヌの心は、一方的に
被弾された者の恐怖と屈辱の感情に
塗れていて、とうてい、初老の男性
との会話を繋ぐ精神状況では
なかったのである。

これを、
私は「アンヌの地下鉄体験」と
呼びたい。

この「アンヌの地下鉄体験」を
精緻に描くこの〈状況〉を、
「傍観者効果」の心理学で
説明することが可能である。

即ち、「責任分散」
(他者と物理的に近接することで
責任が分散される)と、
「聴衆抑制」
(皆の前で恥をかきたくない)の
心理学である。

この「傍観者効果」の心理学に、
何をするか分らないと思わせる、
複数のアラブ系のチンピラに対する
恐怖感が張り付いていて、
それで、多くの場合、自分に害を
及ぶ危険性を回避しようと動く
のである。

この現象は、どこの国でも、
いつの時代でも普遍的に起こり得る
ものだが、この映画では、
白人社会の中で差別されている
移民に対する、反転的な恐怖感が
強調されていている点が
刮目に値する。

いつもながら、その辺りの乗客心理
を巧みに描き切った、
ハネケ監督の人間洞察力は
出色だった。
・・・
<引用終り>__________
まさに、現在までに行われている
支配構造のロジックを
垣間見せてくれた
監督だと思います。
https://www.google.co.jp/search?q=Anne+harc%C3%A8lement+m%C3%A9tro+%C2%B7+%C2%B7+%C2%B7+R%C3%A9alis%C3%A9+par+Michael+Haneke&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwjq6o-Om73ZAhVKxbwKHQDXCXAQsAQIYQ&biw=1455&bih=699#imgrc=cTA6jpoY_-svTM:
(Anne harcèlement métro · · · Réalisé par Michael Hanekeで検索
してみてください)

さてさて、この映画の
秀逸なところは

つまり、亜空間知能による

支配するカラクリが群集心理と
非常に密接に関連した
動き方を見せて、
考えさせているということです。

そして、支配方法の
維持の仕方は、、、

1.悪(悪玉)の存在を知らしめる

2.多くの人の前にターゲットに
 アクション

 脅し・暴行・リンチ・不正行為
 事件・事故・レイプ・放火・殺人
 …などの状況を見せつける。
 (報道などのマスゴミが
  その役割を担っていますよね)

 このような奴はこうなるという
 見せしめ効果。

 また、「このような奴」という
 ターゲットを示さないことで
 強い不安と恐怖を
 一般庶民に与えられる効果も
 計算しています。

3.多くのド庶民の心理が動く

 感情による「恐怖」が優先し、
 「傍観者効果」の心理が
 働くことで、
 ・害を及ぼされたくない…
 ・害を止めさせる責任からの
  回避としての何もしない人
  たちとの物理的接近でその
  責任を分散したい…

 昔から、サルを例えた
 「見ざる、聞かざる、言わざる」
 という格言があって
 英語でも
 see no evil,
hear no evil,
speak no evil
と表現しており、

 「悪魔と対峙」できないように
 仕組まれてきているのでしょう。

4.悪玉を使った亜空間知能の
 支配ロジックの完成となり、
 1からの繰り返しで支配。

なので、ド庶民を支配するには
「恐怖」を定期的に植えつけたり
再度、思い起こさせたりすることで
この閉塞的、マトリックスを
数千年に渡って、維持して
来ていると考えるのです。

このマトリックス生き地獄から
脱出したいと思う方の
同志が集まる場所が
あるようです。。。

スポンサーリンクへ詳細を載せます

では、また。


スポンサーリンク

■今週の宇宙海賊ラヂオ
毎週木曜更新
https://www.terakoyafrontier.com/

■宇宙海賊ラヂオとは
https://www.terakoyafrontier.com/spacepiratesradio
Master響の下に夜な夜な家臣たちが
集い
叡智の語り合いを記録した音声
コンテンツ

叡智の片鱗に触れてもらいたく
​ここでは家臣選りすぐりの13本を
無料で公開している