V600番台のコールサイン

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こんにちは、\Soujya です。/

太平洋に浮かぶテニアン島に
集結した広島・長崎の
原爆攻撃部隊の
コールサインが日本軍の
特殊情報部隊によって

原爆投下の2ヶ月前に
受信されていた。
しかも、12~13機の
特殊任務機・・・

実は
「原爆投下の5時間前に、
原爆機接近の情報を軍の中枢が
つかんでいたという
新たな事実。」
コールサインV675だった。

<参謀本部の執った対応>
■避難命令を解除
■空襲警報を鳴らさない
■B29に対し出撃命令が出てない
■原爆と分かっていながら無視

参謀本部の掘少佐が
戦後書き残した
メモの文言・・・
「コールサインを8/9も同様に
キャッチしたが、処置なし、
あとの祭りとなる」
まるで、分かっていて、何とか
したいが、出来ないんだよ!…
(何かの圧力が働いていた…)

「原爆投下の5時間前に、
原爆機接近の情報を軍の中枢が
つかんでいたという」ことを
66年経って、知った!
戦闘機パイロットの本田さん
曰く
「こんなことを、許しとったら
また、起きるんじゃないですか」

その通りでした、、、
それが3.11で
様々な犠牲者がでました。。。

さて、、、
そうして、原爆投下の直後
事実を伝えるはずの
証拠隠滅を強要された。

そして、
(終戦前)から治療はせず殺傷記録
をとった者:
日本の科学者1300名

被曝者を使った人体実験を
した者:
東京大学

それらを原爆報告書として米国に提出した代表者:
昭和天皇

唖然です!

被爆国である日本が自ら
記録を取って、報告書を提出
している。。。
「ふざけている」!

それこそ「日本人ような顔をした
日本人による忖度」では?
阿呆の極み。
陸軍省医務局はキチガイ集団。
というしかない。

以上の流れをメタ的に見ていくと

■日本は原爆による人体実験

最初からアメリカと
組んで、起こさせ、その実験
結果をちゃんと組織的に報告
している。
 (デキレース)
国民の命よりも軍閥を優先だ。

なぜ、ドイツでなく日本なのか?

 ルーズベルトが言った、
 日本人「イエローモンキー」は
 いくら殺しても構わないという
 ことに乗じた人体殺人実験。
 このことに、メーソンリーで
 あるヒロヒトも同意していた。

これは、人種差別というより
人種の優劣順序で、白人が1番で
世界を支配するのは当然である。。
という価値観が世界を覆っている。
この見えない空気感…
「亜空間知能」に洗脳させられて
いるからであろう!

それにしても、なぜ
広島と長崎だったのか?

1945/8/6ウラン型
広島原爆投下理由:
■連合国軍の捕虜収容所がない
■軍事施設、軍需工場が集中
■陸軍第2総軍と呉軍港がある

1945/8/9プルトニウム型
長崎原爆投下理由:
■三菱造船所がある
■「もや」と煙が第1目標の
小倉市街地を覆い隠していたため
爆弾投下の機会が得られず
第2目標の長崎となった

目標委員会、
ロスアラモス、
1945年5月10-11日を
ご参照ください・・・
http://www.dannen.com/decision/targets.html#f
http://www.asyura2.com/13/warb11/msg/489.htmlより
<引用開始>_________
2011年8月6日、広島に原爆が
投下されて66年が経過した。
広島・長崎の悲劇は繰り返されて
はならない。

一瞬にして数十万の命を奪い、
また生き残った人達もその後
凄惨な人生を送ることとなった
行為は正当化されるものではない

「繰り返されてはならない」で
あって「繰り返してはならない」
ではない。
日本人の発言としては「繰り返
されてはならない」が適切である
と思うがいかがだろうか。

戦争をおこさない、あるいは参戦
しない、ということに関しては
「繰り返してはならない」という
強い決意に同意だ。
しかしながら広島・長崎の被爆は
、日本が第二次世界大戦に参戦し
たから引き起こされた悲劇では
ない。参戦したから原爆を
落とされたという因果応報的な
自虐史観はいかがなものかと思う

日本には元々第二次世界大戦を
戦い抜く力はなく早く終戦させた
かった。
戦争を終結させるために原爆投下
は必要ではなかったことは明らか
だった。

終戦後、GHQ占領の元で
アメリカのためだけの資本主義、
民主主義教育体制が構築され
日本人は自虐史観を持つよう
洗脳されてきた。
勝てば官軍、負ければ賊軍。
勝ったアメリカが正で、負けた
日本は悪なのか?
欧米諸国の侵略・略奪植民地主義
から日本やアジア諸国を守ろうと
し命を落としていった先祖達は
悪で、原爆を落としたアメリカが
正義なのか!
アメリカに押し付けられた価値観
ではなく、日本人は自らの文化、
歴史に誇りを持って良いと思う。

今、世界で戦争や紛争が起こると
「人道的」という言葉がよく
使われる。
「人道的」とは人が人として
どうあるべきかを問う言葉だと
思う。
人が人であるならば、「人道的」
という概念は太古の昔から
変わっていないはずだが、
どうやらこの言葉は欧米諸国の
都合によって使い分けられている
ようだ。
日本人はもちろん人間なのだが、
欧米の一部のものたちは
そうは思っていない。
人間以下の動物と思っている
わけだから、人道的という概念も
日本人に対しては適用されないと
いうわけだ。

アメリカは自国民に対し
プルトニウムを投与するという
人体実験を国家プロジェクトと
して行っていた国である。
人間以下の日本人を原爆の実験台
にすることに何のためらいも
なかったのだ。

最新の調査によると、
アメリカ政府は1943年5月と
いう早い時点で「対日投下」を
決定し、原爆使用を来たるべき
戦後の原子力開発競争において、
アメリカがとりわけソ連に対して
いかに優位を確保していくかを
中心に議論していたことが
判明している。

大戦中、アメリカとソ連は同じ
陣営に属してはいたが、戦後の
世界再建に向けてにらみ
合っていた。ともに増大する
軍事的脅威に危機感を感じ取って
いた。ソ連はヨーロッパ戦線で
ベルリンを陥落し、東ヨーロッパ
の大部分を手中に収めるにまで
至っており、アメリカと対等の席
につくはずであった。ところが、
原子爆弾という切り札によって
ソ連の優位は崩れ、アメリカに
交渉のイニシアティブを握られて
しまったのである。
原子爆弾は「対ソ外交」を有利に
運ぶ上で、効果的な材料だった
のである。

「マンハッタン計画」に携わった
ユダヤ人科学者の中で、もっとも
反日強硬派だったのは
フォン・ノイマンだろう。
彼は日本人を蔑視し、京都を原爆
の最初の血祭りにあげるべきだと
主張。京都が日本国民にとって
深い文化的意義をもっていた
というまさにその理由によって、
京都の破壊を
求めていたのである。

しかし、ヘンリー・スチムソン
陸軍長官の反対によって、京都は
原爆のターゲットから外された。
彼は、京都の代わりに長崎の追加
を指示したのである
(1945年7月22日)。

一般に、この時にスチムソンが
京都を原爆のターゲットから外し
た理由として、「スチムソンは
京都が歴史のある都市であること
を理解していたから」という
“美談”で語られる場合があるが、
だまされてはいけない。この
“美談”は、戦後、GHQがお涙
頂戴好きの日本人を洗脳する為に
、意図的に流した
ニセ情報である。

アメリカ軍部の一部は京都を原爆
投下目標とすることを諦めず、
空襲を実施しなかった。原爆投下
後に原爆の影響を正確に把握する
ため、空襲が禁止されていたので
ある。京都が最後まで空襲され
なかったのは、原爆投下の前に
日本が降伏したからにすぎない。

スチムソン以外にも、
「京都を戦果から救った恩人」と
言われるアメリカ人が何人かいる
が、すべて何の根拠もない流言に
過ぎないのだ。詳しくは吉田守男
著『日本の古都はなぜ空襲を免れ
たか』(朝日文庫)を読んで
欲しい。当時のアメリカ政府は、
日本の文化遺産を根こそぎ破壊
することに、なんのためらいも
なかったのである。

ところで、「マンハッタン計画」
をスタートさせたフランクリン・
ルーズベルト大統領は、日本人を
“劣等人種”として激しく差別して
いたことで知られている。一般の
アメリカ人の間にも、日本人に
対する人種差別意識が
蔓延していた。

当時のアメリカの雑誌にはこう
書かれていた。
「アメリカ人はドイツ人を憎む
ことを学ばなければならないが、
日本人に対しては憎しみが自然と
湧いてくる。これはかつて
インディアンたちと戦ったときと
同様に自然なものだ。」
「普通の日本人は知性が低く、
無知である。たぶん人間なのだ
ろうが、人間であることを示す
ような点はどこにもない。」

当時、トマス・ブレーミー将軍も
、こう演説していた。
「諸君らが闘っているのは奇妙な
人種である。人間と猿の中間に
あると言っていい。文明存続の
ために我々は最後まで戦い
ぬかねばならない。日本人を根絶
しなければならない!」

ところで、「強制収容所」と
いえば、真っ先にナチスを思い浮
かべる人は多いと思うが、第二次
世界大戦中、自由と民主主義の国
、アメリカ合衆国にも「強制収容
所」があった。それも日本人と
日系人専用のもので、約12万人
もの民間人が財産と市民権を奪
われて、カリフォルニア州から
ルイジアナ州までに広がる
10数ヶ所の強制収容所に収容
されたのである。

このアメリカの日系人に対する
強制収容政策の裏には、白人の
有色人種に対する人種的偏見や
差別意識があったことは明らかで
ある。(この時期、同じ敵国で
あったドイツ系・イタリア系の
アメリカ人は「お構いなし」の
状態だった)。

この日系人強制収容政策の最高
責任者は、前出のヘンリー・
スチムソン陸軍長官である。
彼は太平洋戦争と原爆を語る上で
、非常に重要な人物だ。

彼は、セオドア・ルーズベルト
大統領の時代に政権に入り、以後
、1950年に死ぬまで、7人の
アメリカ大統領に仕えたことで
知られている。第二次世界大戦中
は、「マンハッタン計画」の最高
責任者を務め、広島と長崎への
原爆使用を決定した。

それ以前に、彼は、ロンドン海軍
軍縮会議においてアメリカ代表団
議長として、また、フーバー政権
の国務長官として、日本海軍力の
制限のために中心的に働いた。
さらに、フランクリン・
ルーズベルト政権においては、
経済封鎖によって日本を窮地に
追い込み、真珠湾攻撃へと駆り
立て、ついに、アメリカを太平洋
戦争に参加させた張本人である。

ルーズベルト大統領が急死する
と、彼はトルーマン大統領の背後
で、実質的にアメリカの戦争を
指揮した。(トルーマンは
スチムソンを全面的に
信頼した)。

戦争が終わると、スチムソンは、
原爆投下に対する批判を抑える
ために、「原爆投下によって、
戦争を早く終わらせ、100万人
のアメリカ兵の生命が救われた」
と発言(1947年2月)。
これが原爆使用正当化の定説と
なった。
(「原爆神話」の誕生)。

一般のアメリカ人に、なぜ
アメリカが広島と長崎に原爆を
落としたのかを尋ねれば、
たいていの人は
こう答えるであろう。
「アメリカ軍の日本上陸により、
多くの犠牲者を出すことを避ける
ためであった。原爆を落とさ
なければもっと大きな悲劇を
生んでいたであろう」と。

しかし、この言説を鵜呑みにして
はならない。「当時、原爆投下
以外にも日本への本土上陸を
阻止する方法があったことは識者
の間ではすでに常識となっており
、トルーマンも彼の顧問もそれを
知っていた」という事実がある
からである。これは、アメリカ
原子力規制委員会の主任歴史家で
あるサミュエル・ウォーカーの
言葉である。

1946年実施の戦略投爆調査の
結論も、「原爆が投下されなくて
も、またソ連が宣戦布告しな
かったとしても、さらには日本
上陸を考えなくとも、1945年
12月31日までには確実に、
そしておそらく1945年11月
1日までには、日本は降伏して
いたであろう」として、先の
歴史家サミュエル・ウォーカーと
同じ結論を示している。

1989年に公開された、陸軍
省諜報部による1946年の最高
機密調査では、「日本の降伏に
原爆はほとんど関係がなかった」
という大胆な結論が出されている
。そして第二次世界大戦終結の
決定的要因はソ連の宣戦布告で
あったとされ、アメリカの大規模
な日本侵略が行なわれることは
なかったであろうと
記されている。

つまり、「日本を降伏に追い込ん
だのは、原爆の使用ではなく、
ソ連の参戦であるといっても過言
ではない」というのが同調査の
結論であった。
また、スタンフォード大学の
歴史家バートン・バーンスタイン
教授によれば、統合参謀本部の
諮問グループ、統合戦争計画
委員会は当時、ソ連が宣戦布告し
ない場合でも、九州への上陸だけ
で戦争を終結できるであろうと
結論づけていたのだ。

ヨーロッパのアメリカ軍司令官
アイゼンハワー将軍は、
スチムソン陸軍長官から計画を
報告された時のことをこう記している。

「彼の報告を聞いているうちに、
暗い気持ちになった。私は彼に
深い不安を伝えた。まず、日本は
すでに敗北しており、原爆は全く
必要ないということ、次に
アメリカ人の命を救う手段として
、もはや不要ともいえる兵器を
使用することで国際世論に衝撃を
与えることは避けるべきだと
伝えた。」

アイゼンハワーの見解は「日本は
できる限り体面を損なわない降伏
の方法を模索している。恐ろしい
兵器で日本に打撃を与える必要は
もはやない」というものであった
のだ。

現在では、原爆は恐らく戦争を
長引かせ、アメリカ兵の命を救う
どころか、奪ったと信じる歴史家
もいる。

なぜなら、国務次官ジョセフ・
グルーは、1945年5月には
降伏条件を変えるだけで戦争は
終結すると大統領に進言しており
、また大統領は原爆が完成する
まで明らかにそれを引き
延ばしたからである。

タフツ大学の歴史家マーティン・
シャーウィンは、「トルーマン
大統領がジョセフ・グルーの助言
を受けていれば、アメリカ兵、
日本人の犠牲者の数は大幅に
削減されたことであろう」と
語っている。

スチムソン陸軍長官もまた後に
なって、「歴史の中で、アメリカ
は降伏の条件を延期したことに
よって戦争を長引かせた」
としている。

結局、アメリカ政府が日本に対し
て原爆を使用したのは、先に
触れたように、戦争を早期に終結
させるためではなく、戦後の
対ソ外交を有利に運ぶ上で、
効果的な材料だったためである。

アメリカ政府は1943年5月と
いう早い時点で「対日投下」を
決定し、原爆使用を来たるべき
戦後の原子力開発競争において、
アメリカがとりわけソ連に対して
いかに優位を確保していくかを
中心に議論していたのだ。

大戦末期、米軍幹部の間では、
原爆を投下しなくてもいずれ日本
は力尽きるという予想が大勢を
しめていた。

しかし、トルーマン大統領は、
ソ連の対日参戦で日本が降伏する
前に、原爆という圧倒的な
インパクトのある兵器を投入する
ことで、日本にとどめを刺したのは
ソ連ではなく原爆、という
イメージを全世界に与えようと
したのだ。

「原爆ホロコースト」に重大な
責任がある人物を挙げるなら、
その筆頭は、直接ゴーサインを
出したトルーマン大統領だろう。

「原爆の誕生」自体は、当時の
「原子物理学」発展の流れに
おいて避けられなかったとしても
、原爆の「実戦使用」に関しては
、彼個人の「政治的な判断」で
避けようと思えば避けられた
のだ。(原爆は作った人よりも
使う人に問題があると思う)。

しかし彼は、原爆を使わずに戦争
を終わらせるなどとは考えも
しなかった。彼は誕生したばかり
の超兵器=原爆を使用したくて
たまらなかった。人間のいない
荒野で爆発させるのではなく、
人間が密集する大都市の上で爆発
させて、その破壊力を試して
みたい気持ちに駆られていた
のだ。人体実験をしたかった
のだ。

彼は日本から提示された降伏条件
をはねつけ、日本への原爆投下を
命じた。しかも無警告で。
2発も。そうしたうえでその降伏
条件を認めたのだった。彼は自分
の行動を正当化するために、
「原爆投下により100万の
アメリカ兵の生命が救われた」と
する「原爆神話」を積極的に広め

た張本人でもある。

「原爆ホロコースト」の実態より

広島大学の名誉教授である
芝田進午氏は、原爆の対日使用は
「人体実験」だったとして、
1994年に次のように
述べている。

「広島・長崎への原爆攻撃の目的
は何だったのか。1つには戦後
世界でのアメリカの覇権確立で
ある。そしてもう1つは、原爆の
効果を知るための無数の人間への
『人体実験』である。

だからこそ、占領後にアメリカ
軍が行なったことは、

第1に、原爆の惨状についての
報道を禁止し、『人体実験』に
ついての情報を独占すること
だった。

第2に、史上前例のない火傷、
放射能障害の治療方法を必死に
工夫していた広島・長崎の医者
たちに治療方法の発表と交流を
禁止するとともに、死没被爆者の
ケロイドの皮膚や臓器や生存
被爆者の血液やカルテを没収する
ことだった。

第3に、日本政府をして国際
赤十字からの医薬品の支援申し出
を拒否させることだった。
たしかに、『実験動物』を治療
するのでは『実験』にならない。
そこでアメリカ軍は全力を尽くし
て被爆治療を妨害したのである。

第4に、被爆者を『治療』せず
『実験動物』のように観察する
ABCC(原爆障害調査委員会
と訳されたアメリカ軍施設)を
広島・長崎に設置することで
あった。加害者が被害者を観察
するというその目的自体が被爆者
への人権蹂躙ではなかったか。」

広島で女学生(14歳)のときに
原爆にあい、現在も原爆後遺症で
苦しむ詩人の橋爪文さんは、
「ABCC」(原爆傷害調査委員
会と訳されたアメリカ軍施設)に
ついて、次のような恐ろしい事実
を述べている。
まさにアメリカがやったことは、
「人体実験」だったといえよう。

「私は広島の生き残りの
ひとりです。 〈中略〉 ここで
、ひとつ触れたいことは
『ABCC』についてです。
これは日本でもほとんど知らされ
ていないことですが、戦後広島に
進駐してきたアメリカは、すぐに
、死の街広島を一望のもとに
見下ろす丘の上に『原爆傷害調査
委員会』(通称ABCC)を設置
して放射能の影響調査に乗り出し
ました。そして地を這って生きて
いる私たち生存者を連行し、
私たちの身体からなけなしの血液
を採り、傷やケロイドの写真、
成長期の子どもたちの乳房や体毛
の発育状態、また、被爆者が死亡
するとその臓器の摘出など、
さまざまな調査、記録を行ない
ました。

その際私たちは人間としてでは
なく、単なる調査研究用の物体と
して扱われました。治療は全く
受けませんでした。そればかりで
なく、アメリカはそれら調査、
記録を独占するために、外部から
の広島、長崎への入市を禁止し、
国際的支援も妨害し、一切の原爆
報道を禁止しました。日本政府も
それに協力しました。こうして
私たちは内外から隔離された状態
の下で、何の援護も受けず放置
され、放射能被害の実験対象と
して調査、監視、記録をされた
のでした。

しかもそれは戦争が終わった後で
行なわれた事実なのです。私たち
は焼け跡の草をむしり、雨水を
飲んで飢えをしのぎ、傷は自然
治癒にまかせるほかありません
でした。あれから50年、
『ABCC』は現在、日米共同の
『放射線影響研究所』となって
いますが、私たちはいまも追跡
調査をされています。

このように原爆は人体実験であり
、戦後のアメリカの利を確立する
ための暴挙だったにもかかわらず
、原爆投下によって大戦が終結し
、米日の多くの生命が救われたと
いう大義名分にすりかえられ
ました。このことによって核兵器
の判断に大きな過ちが生じたと

私は思っています。」

「原爆ホロコースト」の実態より

アメリカは人口の多い全国の64
都市を戦略爆撃していることも
忘れてはならない。
東京大空襲では一夜にして10万
人以上の民間人が焼き殺された。

広島・長崎は戦略爆撃、無差別
空襲の極みとも言えよう。

日本人はとてつもなく徹底的に、
、、虐殺された。
これを戦争犯罪と言わずして何と
言うべきか。

全ての犠牲者の御霊が安らかに
眠らむことを願います。
<引用終了>_________
むごたらしい
戦争犯罪です。

それにしても、東条英機さんが
責任取って死刑になってました
東京裁判でしたが。

タブーと云われる
事を敢えて述べますが、、、

戦争責任の頂点は
「天皇ヒロヒト」さんでは
無かったのか?

東京裁判で
裁かれずに、戦後も
天皇家財閥は憲法で守られて
象徴として生き延びてる事自体が
おかしいのでは?

なぜならば、
つまり大日本帝国軍の大元帥
である昭和天皇に戦争責任が
全く無いのはおかしいであろう。

それは負けたことで国家と国民に
多大な被害をもたらしたという
ことに対する戦争犯罪責任
というものを
取っていない事実である。

東條英機氏が大元帥では無い。

どの歴史でも敗者の長は命を
捨てる覚悟というものが
有ったはずであり、それが軍の
大元帥という
位置づけであったろう。

当時の日本は様々な理由から
戦争を決意し、戦争を画策
戦略・戦術を立てて国家主権の
実行として敵に向かって攻撃を
加えて、結果して戦いに
敗れたのあった。

「負けた責任の取り方」に国民は
理解・納得していたのか?

ところで
原爆が落とされたのは、
日本人が同じ人間として
見られていなかったから。

それは
ただ聖書を読んでいない。
神と契約してない者たちだから。
だから殺したってかまわないと。

政治と軍事は一緒。
戦争をすることが政であると。
西洋の偶像崇拝とお金による個人主義の絡み合い
があっった!
http://spacepirates.xyz/?powerpress_pinw=2844-podcast

では、また。

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天皇の戦争責任 単行本 – 2000/11
加藤 典洋 (著),‎ 竹田 青嗣 (著),‎ 橋爪 大三郎 (著)

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